「つらい体験も『被害者ではなく体験者だ』と捉えることによって乗り切れる」……厳しいけど、納得。


今週紹介しているのは村上春樹著「村上さんのところ(新潮文庫)」で、今日が最終回。


p536~
「被害者でなく体験者として生きる」

(前略)
『アンダーグラウンド』に書かれていた、ある駅員さんの話の中に、自分はサリン事件の被害者ではなく、体験者だと思うようにしている、というようなことをお話されていた方がいらっしゃいました。
私も学生の頃、ついこの間まで友達だと思っていた人に「早く死んで欲しい」とか言われてずっと部屋に閉じこもって、ご飯も食べずに泣いてばかりいた時期がありました(今はすっかり元気です)。
その時、たまたまその駅員さんの話を読んで、私は「自分を被害者だと強く思うと、自滅するのではないか」ということに気付きました。だからあの駅員さんは、自分を体験者だと思うようにしているのではないか、と。
自分を被害者だと強く思っていた時期は、世を恨み、相手を恨み、卑屈になって、人も離れていきました(なんで自分ばっかり、とその頃は思っていたのですが、実際には、自分ばっかりではなくて、みんないろいろあるんですよね)。そのようにして自滅していくのかな、と。なんだかうまく言えなくて、すみません。
相手も悪いところがあるし、自分も悪いところあったな、と考えるようになってから、ちょっとずつ元気になっていきました。
村上さんは、その駅員さんはなぜ被害者ではなく、体験者だと考えるようにしていたのだと思いますか。
ぜひ、村上さんの解釈をお聞きしたいです。(25歳、女性)

以下が回答。

被害者というのは一般的にいえば、「自分には何の責任もないのに、たまたま災難が降りかかってきた」という人のことです。だから「どうしてこの私に?」という疑問が先に立ってしまいます。それで深く混乱し、傷ついてしまうこともあります。でもその駅員さんは自分を「被害者ではなく体験者」と見なすことによって、「自分はこの世界に生きているという責任を、たまたま自分なりに分担したのだ」という風に、いわば前向きにお考えになろうとしたのでしょう。僕はそのように解釈しています。それは「災難が降りかかってきた。ひどい目にあった」と受動的に捉えるか、「心ならずもではあるが、自分が災難を引き受けることになった」と能動的に捉えるかの違いだと思います。
あなたもできるだけいろんなことを能動的に前向きに捉えて、元気に生きていってください。


「被害者ではなく体験者だと捉える」
「自分が災難を引き受けることになったと能動的に捉える」
いずれももちろん簡単なことではない。
でもそのように対処することによって感情の落としどころのようなものが見えてくるし、前回紹介した「心の年輪」が育つのだと思う。
自分自身の人生の糧にするためには、「ひどい目にあった」で完結させるのではなく、それを「何かしら能動的なもの」に昇華する必要があるというのは、その通りだと思う。本当に厳しく、つらいことだけど。
今回は村上氏の回答だけでなく、質問の内容も素敵だったので、両者をほぼ全文紹介させて頂いた。
村上氏の回答は、時として厳しめであるけれど、ちゃんと救いがあっていい。そのあたりは氏が敬愛した河合隼雄氏と似ている気もする。
内容との相性は人それぞれだけど、読むほどに元気になれる本、というのが個人的見解だ。お薦め。



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内山 直

作家、医師、医学博士。
1968年新潟県新潟市に生まれる。新潟大学医学部卒業、同大学院修了。
2004年に独立し自分のクリニックを立ち上げ、「行列のできる診療所」として評判を呼ぶが、その後アーリーリタイアメントを決意。
2016年2月、クリニックを後輩医師に譲りFIRE生活を開始する。
地方都市でゆるゆると生息中。

「お金、地位、美貌」で得られる幸福はたったの10%で遺伝が50%とされています。
残りの40%に目を向ければ、幸せはすぐにやってくる!をキャッチフレーズに幸福の啓蒙活動を継続中。

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