以下が回答。(前略)
『アンダーグラウンド』に書かれていた、ある駅員さんの話の中に、自分はサリン事件の被害者ではなく、体験者だと思うようにしている、というようなことをお話されていた方がいらっしゃいました。
私も学生の頃、ついこの間まで友達だと思っていた人に「早く死んで欲しい」とか言われてずっと部屋に閉じこもって、ご飯も食べずに泣いてばかりいた時期がありました(今はすっかり元気です)。
その時、たまたまその駅員さんの話を読んで、私は「自分を被害者だと強く思うと、自滅するのではないか」ということに気付きました。だからあの駅員さんは、自分を体験者だと思うようにしているのではないか、と。
自分を被害者だと強く思っていた時期は、世を恨み、相手を恨み、卑屈になって、人も離れていきました(なんで自分ばっかり、とその頃は思っていたのですが、実際には、自分ばっかりではなくて、みんないろいろあるんですよね)。そのようにして自滅していくのかな、と。なんだかうまく言えなくて、すみません。
相手も悪いところがあるし、自分も悪いところあったな、と考えるようになってから、ちょっとずつ元気になっていきました。
村上さんは、その駅員さんはなぜ被害者ではなく、体験者だと考えるようにしていたのだと思いますか。
ぜひ、村上さんの解釈をお聞きしたいです。(25歳、女性)
被害者というのは一般的にいえば、「自分には何の責任もないのに、たまたま災難が降りかかってきた」という人のことです。だから「どうしてこの私に?」という疑問が先に立ってしまいます。それで深く混乱し、傷ついてしまうこともあります。でもその駅員さんは自分を「被害者ではなく体験者」と見なすことによって、「自分はこの世界に生きているという責任を、たまたま自分なりに分担したのだ」という風に、いわば前向きにお考えになろうとしたのでしょう。僕はそのように解釈しています。それは「災難が降りかかってきた。ひどい目にあった」と受動的に捉えるか、「心ならずもではあるが、自分が災難を引き受けることになった」と能動的に捉えるかの違いだと思います。
あなたもできるだけいろんなことを能動的に前向きに捉えて、元気に生きていってください。
スポンサーリンク
内山 直
作家、医師、医学博士。
1968年新潟県新潟市に生まれる。新潟大学医学部卒業、同大学院修了。
2004年に独立し自分のクリニックを立ち上げ、「行列のできる診療所」として評判を呼ぶが、その後アーリーリタイアメントを決意。
2016年2月、クリニックを後輩医師に譲りFIRE生活を開始する。
地方都市でゆるゆると生息中。
「お金、地位、美貌」で得られる幸福はたったの10%で遺伝が50%とされています。
残りの40%に目を向ければ、幸せはすぐにやってくる!をキャッチフレーズに幸福の啓蒙活動を継続中。