僕も最近、人に理解されたいという願望がめっきり減った。誤解されずにすめば一番だが、されたとしてもさほど気にしない。“p21~
この心は「好きになりたい」「嫌いになりたい」というフィルターによって、世界をありのままには見ずに誤解し続けることを原動力にしていると申しても過言ではないのですから。
誤解を正すことは、その意味では原理的に不可能なのです。無理なことに労力を割くのはやめる。「ちゃんと相手に理解させなきゃ」という思いこみが外れれば、心の自由度が上がって楽になるのです。“
まったくその通りだと思う。“p48~
今、それを考えている最中は「本当にそうだなあ!」と、身を入れて考えていることでも、過ぎ去ってみるとリアリティがすっかり薄れてしまうというのが、重要なポイントです。(中略)別の考えに入れかわっているときは、すっかり忘れてしまうのです。
言わば、私たちの心は、それを考えている間だけはその考えと熱愛しているのですが、すぐに別の考えへと次々に浮気をしてしまい、前の考えとは別れてしまうのです。そして新たな考えこそ本命、とばかりにその間だけは熱愛するのですが、すぐにまた別れ、浮気をする。
(中略)
私たちが苦しむ原因は、頭がイヤなことを考えるからです。そしてより厳密に申せば、頭が考えたことを、「本当にその通りだ。重要な考えだ」と、執着するからなのです。「今、私が考えていることは浮気相手にすぎず、すぐに別れ、続かないから大切ではない」という視線があれば、自分の考えに囚われなくなります。
(中略)
かくして、心が何を考えても、「考えはすべて本命ではない」と分かっていれば、考えに支配されないので、どんな喜怒哀楽がやってきても、それに流されず、揺るがないのです。仮につらいことを考えても、つらい考えも本命ではないと分かっているので、支配されないのです。
これが、考えという支配者からの自由であり、仏道が与えてくれる智慧の効果です。そのためにこそ、いかに自分の考えが入れかわっているのかを、実際に丁寧に観察すると言う仏道修行があるのだとも、申せましょう。“
仏教を学ぶと、多くの教えが近年の幸福学のデータと近似していることに驚かされることが多いのだが、これについては真逆だ。“p154~
つながりと自由が両立できないのだったら、自分にとってどちらのほうが大切なのかを選ばざるを得ないのです。(中略)
いったん自由を愛して走ってきたがゆえの弊害を抑えるためには、自由に歯止めをかける必要はあるでしょうけれども、安易に絆やつながりやコミュニティを強調しすぎるせいで、かえって排除されたり孤立を深めたりする層が確実にいるのだと、心得ておきたいものです。
要するに、つながりなんて、そんなに上等なものとは限らない、と。“
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内山 直
作家、医師、医学博士。
1968年新潟県新潟市に生まれる。新潟大学医学部卒業、同大学院修了。
2004年に独立し自分のクリニックを立ち上げ、「行列のできる診療所」として評判を呼ぶが、その後アーリーリタイアメントを決意。
2016年2月、クリニックを後輩医師に譲りFIRE生活を開始する。
地方都市でゆるゆると生息中。
「お金、地位、美貌」で得られる幸福はたったの10%で遺伝が50%とされています。
残りの40%に目を向ければ、幸せはすぐにやってくる!をキャッチフレーズに幸福の啓蒙活動を継続中。