「諸行無常」はすべてのつくられたものは無常である、という意味だ。
デカルトからカントまでの近代哲学者が追い求めた哲学的真理や倫理的真理に対し、むしろそれはないと考えざるをえないことに気づいたのが、いわゆるポストモダンであり、それをふまえれば、物質的なものはもちろん、抽象概念である真や善も常に正しいというわけにはいかない。さらに、素粒子論、複雑系科学などの現代科学が、近代西洋流の限界を示したことなど、まさに諸行無常そのものではないか。
また、諸法無我は、すべてのものは、我ざらなるものである、もしくは、実体がないものである、という意味だ。
ベンジャミン・リベットによる「指を曲げる研究」により、自分の意思で思う瞬間よりも、0.35秒早く、脳内における無意識的な運動野での神経発火が計測されている。つまり、「指を曲げよう」という自分の意思に思えたものは、「我ならざるものである」ことがわかる。つまり、「我思う、故に我あり」だと思っていたら、「我思う、しかし、その実態は、無意識に追従する幻想のような自分」だったのである。
昔はこれらの知見がなかったから、座禅を組む等の修行を重ねることによってしか、諸行無常、諸法無我ということを理解することができなかった。しかし冷静に考えれば、それらはすでに現代科学によって証明されているようなものなのだ。
2500年前と違って、私たちは、困難な修業を経なくても、科学の成果の論理的な理解によって、悟り(=至福)に至ることができるのではないかと思うのです。
私自身、悟りの境地とは何か、はっきりとわかります。すべては無である。欲は幻想である。私も、昔は恥ずかしながら名誉欲や金銭欲に支配されがちでしたが、今は違います。今、死んでも悔いはない。もちろん、名誉や金など目指していない。今を生きるだけ。しかも、自然の一部として。究極の自然体です。悩みもない。至福です。心を落ち着けると、このスタンスに立てます。しかし、ブッダと違って、気を許すと煩悩の世界に戻りそうになりますので、修行は一生続くと言うのもよくわかります。
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内山 直
作家、医師、医学博士。
1968年新潟県新潟市に生まれる。新潟大学医学部卒業、同大学院修了。
2004年に独立し自分のクリニックを立ち上げ、「行列のできる診療所」として評判を呼ぶが、その後アーリーリタイアメントを決意。
2016年2月、クリニックを後輩医師に譲りFIRE生活を開始する。
地方都市でゆるゆると生息中。
「お金、地位、美貌」で得られる幸福はたったの10%で遺伝が50%とされています。
残りの40%に目を向ければ、幸せはすぐにやってくる!をキャッチフレーズに幸福の啓蒙活動を継続中。