たしかに通訳はドジだと思う。“(前略)京都のある小学校がこのセーシェル(内山注;アフリカ大陸から1300 kmほど離れたインド洋の島国)の小学校と図画交流をしている。
へえ、今や小学校も国際化しているんですねえ。それもずいぶん遠い所と。
そこでこの京都の小学校の、山田という女の校長先生がセーシェルの小学校へ出かけて行って、日本製のクレヨンを使って図画の授業をした。その際、「『はだいろ』を取ってください」と指示したのが、「スキンカラー」と直訳された。
「それまで楽しく画用紙に向かっていた子どもたちが一瞬、とまどったよう。人権学習にも力を注いできたが、一番身近な所で見逃していた」と思った校長先生は、帰国後「『はだいろ』の名称を変えてほしい」と文具メーカーに求めた、――というのが話のあらましである。
セーシェルの子供というのがどんな皮膚の色なのかも書いてないが、多分黒いんだろうね(内山注;アフリカのネイティブもいるが、大部分がイギリス、スリランカ人らとの混血)。学校の授業は英語で行われているらしい。
当方「はだいろ」もセーシェルも知らなかったんだから口はばったいことは言えないけど、記事を読んで、何だか妙な話だと思いましたねえ。
だいたい通訳がドジだよ。
英語ではペールオレンジ、と記事にある。ならばそう訳せばいいじゃないか。「スキンカラー」は「皮膚の色」であって、それは人種によってそれこそ色々なんだから、それじゃ「はだいろ」の訳にならないじゃないの。
校長先生も間が抜けているよねえ。(中略)通訳が「スキンカラー」と訳し、子どもたちがキョトンとしたら、「ああ、この色のことよ」とクレヨンを示し、ついでに「日本の子供はね、こんな色の顔してるのよ、おもしろいね、アッハッハ」と言えば、子供たちもアッハッハと笑って、それだけのことだ。“
ここで僕は大笑い。“しかし最も奇々怪々なのは、この校長先生の心の動く方角である。
なんで急に人権が出てくるんだろう。
(中略)
思うに、人種差別はクレヨンにあるのでも色名にあるのでもない。校長先生の心の中にあるんだね。(中略)「はだいろ」という色名をつけるのは、不幸にしてその色の皮膚にめぐまれなかったセーシェルの子供たちに対する人種差別である、――と多分そういう筋道なのであろう。
そこで断乎文具メーカーに色名変更を求める、という次第だが、変更を要するのはクレヨンじゃなくて、校長先生のその意識だろうとわたしは思います。
しかしまた、そんなけったいな要求に賛成する人がいるんですねえ。
京都大学教育学部の助教授で前平という人が、「自文化中心主義の典型例。自分たちの世界を中心に物事を見て、結果的にすべての肌の色を表現しているという思い違いになる。改めていかないといけない」とのたもうている。
(中略)
「結果的にすべての肌の色を表現しているという思い違いになる」なんて、誰がそんな思い違いをしますかいな。“
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内山 直
作家、医師、医学博士。
1968年新潟県新潟市に生まれる。新潟大学医学部卒業、同大学院修了。
2004年に独立し自分のクリニックを立ち上げ、「行列のできる診療所」として評判を呼ぶが、その後アーリーリタイアメントを決意。
2016年2月、クリニックを後輩医師に譲りFIRE生活を開始する。
地方都市でゆるゆると生息中。
「お金、地位、美貌」で得られる幸福はたったの10%で遺伝が50%とされています。
残りの40%に目を向ければ、幸せはすぐにやってくる!をキャッチフレーズに幸福の啓蒙活動を継続中。