自著“幸せの確率―あなたにもできる!アーリーリタイアのすすめ”の著者紹介欄には、このように書かれている。
“1968年生まれ。医学博士。
2004年に独立し、自分のクリニックを立ち上げたところ、多くの患者さんを集め、「行列のできる診療所」として有名に。しかしその後、激務と重圧から、人生のあり方をみつめ直すようになり、幸福学、心理学、伝統仏教など学んだ結果、家族や友人とより多くの時間を過ごしながら、自己実現に腰を据えて取り組むことが大切だと考え、早期リタイアを決意。(後略)“
以前、本書を読んでくださったかたからメールで質問を頂いた。
”大変興味深く読ませていただきました。(中略)ところで、開業医のお仕事って、そんなに激務なんでしょうか? 私のまわりのクリニックは、大抵昼休みを2時間、場合によっては3時間とってますし、平日も1日休診日があります。患者からみると、ずいぶんのんびりした楽そうな仕事にみえていたもので。
もちろん、病院の救急医療は大変なのは、マスコミ報道やドラマである程度知っていますが。”
素朴な質問過ぎて、思わず笑ってしまった。
もちろんその方にもお返事をしたが、「なぜ開業医が辛くなったのか」ということについて、ブログでまとめておきたい。
まず昼休みが長いというのは、大きな誤解。一般外来を受け付けていないだけで、この時間を外科系なら手術、内科系なら往診にあてている。
となると1時間では到底足りない。少なくとも2時間、特殊な治療を行っている所ならそれ以上必要だろう。
またスタッフへの配慮もある。患者さんの便を考えると、クリニックは5時ではなく、6時まで開けておきたい。スタッフの昼休憩を2時間確保してあげないと、実勤務時間が一般的な8時間ではなく9時間になってしまうのだ。
確かに平日に休診日を設けるクリニックが増えているが、その日を利用して他の病院で臨時医師として働いている人も多い。
開業医を続けていると、どうしても知識が古くなったり治療方針が独りよがりになったりするので、週に1回でも病院で他の医師たちと働いて、耳学問で学んだり、新しい技術を取得したいと考える勤勉な医師も多いのだ。
とりあえず、これで大体理解してもらえたと思う。
でも僕自身が激務だったというのは、そういう次元ではなく・・・。とにかく患者数が多かった。ありがたい話ではあるが、多過ぎた。
僕の専門科は夏のほうが忙しく、夏場は毎日200人以上の患者さんが受診された。それを僕一人でこなさなければならない。
200人越えの日がたまにある、という程度ならなんとかなるのだが、それが連日だときつい。心の休まる間がなくなり、疲労が徐々に蓄積していく。
家に帰っても、本を読む気力どころか、子供の相手をする気にもならないまま、特に見たいわけでもないテレビ番組を眺めて過ごす日が続くようになる。
緊張がとけないのだろう。夜中に目が覚めることも多かった。ただでさえストレスがたまっているから、そこでウイスキーに手が伸びることもある。睡眠薬をボリボリかみ砕いて、ストレートのウイスキーで流し込む。
翌朝は最悪だ。目が覚めた時点ですでに疲れている。
平日はまだよかった。問題は土曜日だ。
9時から1時まで開けていたのだが、毎週その4時間で150人前後の患者さんが受診された。ただでさえ狭い院内は、もはや野戦病院状態だ。
玄関が開く頃には医院の前に行列ができるし、待合室に入りきれない患者さんは玄関や外で待っている。いつまで待たせるんだ、と声を荒らげる患者さんも出てくる。
プレッシャーの中、こっちも必死で診察するが、がんばってもがんばっても、待ち患者のカルテの山は逆に高く積まれていく。
一番多いときは200人の患者さんが半日で受診された。
その日の診察後、僕はトイレで少し吐いた後、院長室の床に白衣のまま横たわった。安物の床材はひんやりしていて、額を押しつけると気持ちがいい。
このまま床に溶け込めたらどんなにいいだろう、とぼんやり夢想した。
結局、起き上がるまで小一時間かかった。
ある時から、毎週土曜日の朝は腹痛で目覚め、トイレで派手に下すようになった。最初は原因がわからなかった。昨日、何を食べたっけ? なんて呑気に考えていた。
しばらくして妻が、仕事のストレスなのではないかと指摘してきた。僕のほうがびっくりした。そんなことは、考えてもいなかったからだ。
確かにそれなら辻褄が合う。緊張感で押さえつけてきた疲労が、ついにコントロールできなくなったのだろう。医者の不養生とは、よく言ったものだ。
このような経験を通して、僕は仕事とお金、そして健康や幸福とのバランスについて考えるようになり、アーリーリタイアという選択をすることになった。
僕は人生で数々の幸運に恵まれてきた。
たいしてIQも高くないのに、医学部に合格できた。現在の状況は知らないが、僕が通った大学は当時、数学と物理さえできれば通った。そして僕は見事なまでに数学と物理しかできなかった。
小論文があったのも、作家を志したことがあった僕には有利だったかもしれない(ただし受験用の国語はまるでダメだった)。
旅とバイトに明け暮れ、ろくに学校にも行かなかったにも関わらず、仲間に恵まれたおかげで卒業試験、国家試験にも合格できた。
研究生活では放射性物質を使うのは怖い、動物実験は残酷で嫌だとダダをこね、それなら大学院になんか来るなよ! と言われてもしかたのないダメっぷりだったが、指導教官や先輩研究者に助けられ学位をとることもできた。
アーリーリタイア後は友人の協力もあり、夢だった自分の本を出すこともできた。
でも僕の人生を振り返ったとき、一番の強運はあの熾烈な10年間で倒れなかったことだと思う。忙しすぎる仕事で健康を損なったり、場合によっては命を失ってしまうことなど、絶対にあってはならない。
身の覚えのある人は、是非注意してほしい。
そして僕自身もそうであったように、意外と自分自身ではストレスに気づきにくい。真面目な人ほど、「まだ、やれるはず!」とがんばってしまう。
だから周りの人にも注意を向けてほしい。あきらかに働き過ぎている家族や友人がいたら、そこまで本当にしなければならないの? と声をかけて、気遣ってあげて欲しい。
仕事にこだわり過ぎてはいけない。山ほどの資産を築いても、そんなもので幸せは得られないはずだ。人生のバランスを崩し、真に大切なものを見失ってはいけない。
このことについては、自著 ”幸せの確率 あなたにもできる!アーリーリタイアのすすめ” でもかなりの頁をさいたし、今後も本ブログの中でしつこく繰り返していくつもりだ。
労働と余暇とのバランス。自分に合ったライフスタイル。人生の目的。絶対に失ってはいけないもの。
折に触れ、考えてみてほしい。
リンク
ランキングに参加してます。ぜひ一票を。
更新の励みになります!
↓
にほんブログ村