今回は資産額と幸福との関係について。
今まで地位財による幸せは持続時間が短いことや、収入が幸福に直結しないことを紹介してきた。
「お金で幸せが買えない」以上、一定以上の資産が幸福面では意味がないことは容易に推察できることと思う。さらに人は資産額が増えるほど、それを失いたくないという不安感が強くなっていく。そう、資産は常に、「失う恐怖」と表裏一体の関係にあるのだ。
実際に多くの人が富を手に入れた途端、日々の幸福度が下がってしまったと嘆いていることをご存じだろうか?
手に入れるまではそれを目標にがんばれたのに、実際に資産を手にし、それが想像していたような幸福をもたらさないことを実感すると精神的な支えがなくなり、失望感にさいなまれるのだそうだ。
そもそも現代に生きる我々の多くは、かの太陽王ルイ14世よりも豊かな生活を送っていると考えられる。
お抱えの仕立屋や料理人を雇うことはできなくても、インターネットで検索すれば高品質で手頃な値段の服をいくらでもみつけることができる。レストラン街まで足を延ばして世界各国の料理を楽しむことだって難しくはない。
さらにトイレは水洗で(当時は宮廷といえどもはなはだ不衛生だった)、ウォッシュレットがあればお尻だって洗ってもらえる。
我々は498人の召使がいたルイ14世よりもずっと豊かな物質やサービスを享受できる立場にいるのだ。
300年後には王よりもいい暮しをしていながら、もっと贅沢をしたいと欲する人が地球上に何十億人もいると知ったら、18世紀初頭のフランスで暮らす庶民たちはさぞかし仰天することだろう。
ちなみに「どのくらいの資産があれば安心で満足か」というアンケート調査を行うと、自分が実際に持っている資産のちょうど倍額を答える人が多いのだとのこと。数億円もの資産を持っていてもその傾向は変わらないというのだから驚きだ。
きっと皆「なんとなく不安」なのだろう。
また「もっと多くの財産があれば幸せなのに」と思う人の割合を国際比較すると、日本では65%と諸外国に比べてかなり高くなっている(例えばアメリカでは16パーセント)。
多くの財産をもつことが幸福に直結しないことが上述した通りであるとするならば、残念ながら日本では真の豊かさが理解されないまま、まだまだ物欲に振り回されやすい状況が続いているといえそうだ。
ちなみに、このような特定のポイントに自分が幸福になれるかどうかの分岐点があると思いこんでしまうことは心理学分野ではよく知られており、フォーカシング・イリュージョン(間違った焦点)と呼ばれている。
人生というものを評価する時、人は典型的な成功パターンから採点しようとするがゆえに、資産の幸福における貢献度をつい過大評価してしまうのかもしれない。
この落とし穴は意外と深いので、はまらないように注意することが肝要だ。
「ほどほどの資産でいい。家族、仲間とともに過ごす時間や、心の豊かさに重きを置いた人生を送ろう」
こうやって僕のスタンスは、少しずつアーリーリタイアの側に傾いていったのだった。
最後に、資産と自由を九九でまとめてみる。
働きづめで、死んだ後に自由を得たって、しょうがない。
シゴニジユウ 4×5=20
生前はろくに自由に過ごせなかったってさ。
ロクニジユウニ 6×2=12
だから、ほどほどの資産で自由に生きる。
シサンジユウニ 4×3=12
全部足すと20+12+12=44
44からいのち(イチ)を引いたら43(資産)になる。
資産と引き換えに人生を失うなんて、これ以上に愚かなことがあるだろうか・・・。
うまいことまとめたつもりで、ドヤ顔でいる僕の姿が目に浮かぶだろうか・・・。
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鶏の中にブルーチーズを仕込みました。チーズ部分が焦げてしまいましたが、オコゲもまた美味!
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