「死とは何か」という大問題には早めに(そして真摯に)向き合っておいたほうがいいかもよ


今日紹介するのはシェリー・ケーガン著「死とは何か―イェール大学で23年連続の人気講義(文響社)」。


まずはアマゾンでの書籍紹介。

○死とは何か
○人は、死ぬとどうなるのか
○死への「正しい接し方」――本当に、恐れたり、絶望したりすべきものなのか
○なぜ歳をとるごとに、「死への恐怖」は高まっていく ○残りの寿命――あなたは知りたい? 知りたくない ○「不死」が人を幸せにしない理由
○「死ぬときはみな、独り」というのは、本当か
○自殺はいつ、どんな状況なら許されるのか
○死が教える「人生の価値」の高め方

いかにも哲学書らしい冗長さは否めないが、「死」という誰もが避けて通れない大問題を多角的に検討している良書だった。
今日は個人的に興味深く感じたところを紹介したい(参照頁数は先に出た省略版に基づく)。

p109
なぜ死は悪いのか? なぜなら、死んでしまったら、存在しなくなるからだ。そして、存在しないのは悪いとなぜ言えるのかと問えば、答えは、人生における良いことの数々が味わえなくなるから、だ。もし自分が存在しなければ、生きて存在してさえいれば得られるものが得られなくなる。死が悪いのは、人生における良いことを奪うからなのだ。
この説明は、今日では死の害悪あるいは悪さを説明する「剥奪」説として知られている。

なるほど、僕に異論はない。
この説に基づいて考えれば、年をとり、衰え、この後は生きていても苦痛が喜びを明らかに上回ると考えればその時点で死に絶えても問題ないことになるが、その理屈に関しても僕はさして違和感を覚えない。
となると問題はほとんどの人生において、「苦痛が喜びを明らかに上回る状態に陥るステージに達する前に死を迎える点」にあることになる。

p170
それならば、これらのいっさいが示唆しているのは、剥奪節は私たちがいずれ死ぬのは悪いことだとしてはいないというのが、この説の最善の解釈であることだ。(中略)
私たちがやがて死ぬのは悪いことではないとしてさえ、今私たちが死ぬような年齢で死ぬのはやはり悪いことでありうる。私たちはあまりに早く死に過ぎるというのが、依然として真実でありうるのだ。

まさにその通り。ではその問題に対し、僕らはどう対処すればいいのか?
本書では明確な答えは導かれていないし、そもそもこの大問題に対する単純明快な正解などあろうはずもないのだが、僕らにできるのはせいぜいで日々を精一杯生き抜き、与えられた時間を最大限活かすことくらいに思える。

著者は最終章でこのように述べている。

p373~
そんなわけで、死について考えるとき、死を深遠な謎とみなし、恐ろしくて面と向かえず、圧倒的でぞっとするものと捉えるのは適切ではない。適切ではないどころか、死に対する比類なく合理的な応答にはほど遠い。思うに、死を恐れるのは不適切な対応だ。

うん、大いに共感。
というのも僕も自著「幸せの確率―あなたにもできる! アーリーリタイアのすすめ」を以下のように結んでいるのだ。


私の人生は、後どのくらい続くのだろう、と時おり考えます。アーリーリタイアという生き方を選択し、設計するためには、自分の人生を最後までを見据える作業に取り組まなければならないわけですから、それまでよりも強く、死という事象を意識するようになりました。
死は我々全員に、そう遠くない将来、必ず訪れます。そのことをしっかりと理解できている人、理解しようとしてはいるものの、現実問題として受け止めきれていない人、あるいは、理解することを拒み、無意識のうちに目をそらしている人と、向き合う姿勢は人によって大きく異なりますが、そこから逃れることは誰にもできません。
(中略)
私に残された時間は、どうやらそう長くはないようです。しかも、冒頭で述べたように、本当にそこまで生き抜くことができるかどうかですら、実際には何の保証もありません。「時は金なり」という格言がありますが、時が金だなんて、「時」に対する評価があまりにも低すぎます。時は、命です。お金がなくなってもどうにでもなりますが、ひとりの人間がもつ時が尽きることは、すなわち、人生を終えるということに他ならないのですから。
(本書で例示してきたように)確率や割合には、アンシステマティック・リスクを減らせば、その分リスク・リターン率が上がる、というような純粋に数学的な意味合いだけではなく、リタイア年齢は貯蓄率で大体推察できるとか、どのくらいの確率であと何年生きることになりそうだといった具合に、ものごとを噛み砕き、把握しやすくする力があります。価値観は多種多様であり、そこに正解などはもちろんありませんが、このようにしたら、人生が幸福である確率を上げられるのではないかということについて、私なりの考えを述べてきました。
(中略)
アメリカ人の友人が教えてくれた言葉があります。
YOLO(ヨロ)。
これはYou Only Live Once(人生はたった一度きり)の頭文字をとった合言葉で、アメリカでよく使われるのだそうです。何かを成し遂げるのに勇気が足りないとき、正しい選択だと頭ではわかっているのに、不安で足がすくんでしまう時、私は頭の中で、「YOLO」とつぶやきます。そして、たった一度の人生を、幸せに彩ってくれる確率が高いのは、どちらの選択肢なのだろうか、と自分自身に問いかけるのです。
(中略)
あなたの生涯が幸せである確率は、どうすれば上がるのでしょうか?
テレビやネットを通じて喧伝される、誰かが陰で得をするための情報や、遺伝子が仕掛る罠に足をすくわれることなく、冷静に、じっくりと考えてみてください。あなたがあなたにふさわしい、豊かな、かけがえのない生き方をみつけることを、そして本書がその一助となることを祈って、筆をおきます。


いずれ訪れるであろう死をしっかり受け止めたうえで、かけがえのない人生を堪能しよう。日本という豊かな国で生活する僕らにとって、そのための選択肢は無数に提示されているのだから。

最後に「死」について、古代ギリシアの哲学者エピクロスの言葉を紹介する。

あらゆる災難のうちで最も恐ろしい死は、私たちにとっては取るに足りないものなのだ。なぜなら、私たちが存在している限り、死は私たちとともにはないからだ。だが、死が訪れたときには、今度は私たちが存在しなくなる。ならば、死は生者にも死者にも重要ではない。前者にとっては存在しないし、後者はもはや存在しないのだから。

なるほど、うまいこと言うなあ、と膝を打ったところで、今日の記事はおしまい。
皆さんもかけがえのない1日を!



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内山 直

作家、医師、医学博士。
1968年新潟県新潟市に生まれる。新潟大学医学部卒業、同大学院修了。
2004年に独立し自分のクリニックを立ち上げ、「行列のできる診療所」として評判を呼ぶが、その後アーリーリタイアメントを決意。
2016年2月、クリニックを後輩医師に譲りFIRE生活を開始する。
地方都市でゆるゆると生息中。

「お金、地位、美貌」で得られる幸福はたったの10%で遺伝が50%とされています。
残りの40%に目を向ければ、幸せはすぐにやってくる!をキャッチフレーズに幸福の啓蒙活動を継続中。

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