お金が多ければ多いほど幸せではないらしい、というのは自著「幸せの確率」でも当ブログでも繰り返し書いて来たとおり。数々の知見が積み上がってきている。
ではお金は幸せの役に立たないのかといえば、もちろんそんなことはない。
今日は内山流「お金で有効に幸福度を上げる方法」を紹介する。
まず強調しておきたいのは物に対してお金を使っても、幸福度が上がるのは短期間で、すぐに元に戻ってしまうこと。
気に入った服や車を買った後、どのくらい幸福が続くか自分の経験で考えてみてほしい。せいぜいで数カ月。1年以上幸福が持続することは稀ではないだろうか。
一方、経験による幸福は比較的持続時間が長いとされていて、僕自身も経験上そのように感じている。
だから我が家は経験にはわりとお金を使う。
家族で行く温泉宿。僕は広い浴槽に興味がなく、小さくていいから、そこでビールを飲みながら読書をするのが好きなので、選ぶのは露天風呂がついた部屋になる。わりと贅沢だ。
あるいは食事。我が家はあまり外食をしないのでエンゲル係数が低いかと思いきや、実はそこそこ高い。こては妻が料理が好きで、毎日凝ったものを作ってくれるため。
夕食ではワインや酒もそれなりのものと併せるから、そっちにもお金がかかる。
しかし前述したように幸福度で考えた場合、これら経験への出費は比較的コスパがいいと実感しているので、あまり倹約に走らないようにしている。
以上、「物」より「経験」にお金を使おうというのが第一のポイント。
とはいえ「経験を買うことによる幸せ」にも障壁はあって、その最大のものは「慣れ」だ。素敵な温泉宿もおいしい食事も、慣れてしまえば以前より幸福を感じられなくなるのは説明するまでもないだろう。
さて、ここからが今日の本題となる。僕らはどのようにしたら慣れによる幸福度の減少(限界効用逓減)を防ぐことができるのだろうか?
僕が考える防止策はふたつあって、一つ目は「揺らぎ」をつくること。一本調子ではなく揺らぎがあれば慣れは生じにくい。
温泉宿でいえば、せっかく宿泊しても以前より幸せに感じていないことに気づいたら、すかさず間隔を開けてみる。そうすれば、心身が喜びに順応しすぎるのを防げるはずだ。
僕のリタイア生活も同様。のんびり過ごすだけではすぐに幸福感は薄れるので、時に少しストレスに感じる程度の勉強や運動を自分に課している。のんびりが完全に日常になってしまえば、もはやそこに喜びはないのだ。
さらに、「慣れに打ち勝つ」ための二つ目の方法は「生活レベルを上げ続けること」。日常に慣れてきたと思ったら生活レベルや娯楽の在り方を一段階レベルアップすれば、幸福感は甦る。
では、生涯にわたり生活レベルを上げ続けることはできるのか?
年齢とともに可処分所得の上昇が期待できない今の日本では、そんなことは不可能だ、と感じる人も多いかもしれない。
しかし僕の答えは極めて単純で、収入を上げ続けようとするのではなく、最初のレベルを可能な限り低く設定すればいいのだ。そこから生活レベルを少しずつしか上げないようストイックに調整すればいい。
たとえ収入が上がってもその分散在するのではなく、大半を投資に回し、支出はほんの少ししか増やさない。そうすれば「生活レベルは上がり過ぎず」かつ「投資によって将来使えるお金が増える」ので、生涯にわたり生活レベルを上げ続けるのが容易になる。
そう計算通りにいくわけがないって? もちろん、いく。実はこれは僕と妻が結婚当初から話し合い実践していることなのだ。
40歳前後で開業医としてそれなりに稼いでいた頃、生活レベルをあまり上げようとしない僕の頑なな態度は一部の人から随分不思議がられたが、これは自分なりの目論見があってのこと。
そこで浮いたお金をすべて投資に回したおかげでアーリーリタイアできたし、その上、少しずつではあるがいまだに生活レベルを上げ続けている。
さらにある程度資産があると将来不安が減るため、その面からも幸福度が上がる(お金は快楽に使うより不安を減らすために使った方が幸福度が高いという説もある)。
これは一石何鳥になるのだろう? と指を折って数えてしまうほど、有意義な人生設計術ではあるまいか。
さらに我が家の独特な手法を紹介すると、「スタート地点を低く設定する」ことの重要性を鑑み、子供たちには「経験」面以外では贅沢をさせないし、実はお年玉を上げたことすらない。
お年玉や誕生日などでしか好きなものが買えなかった僕ら世代と違い、恵まれている子供たちにお年玉など不要と僕は考えている。
そもそもお年玉は日本独自の習慣で、似た習慣をもつ国はあまりない。プレゼントならともかく、まとまった現金を子供に与える意味合いはあまりないはずだ。
実は先日、息子のひとりに「友達が言ってたんだけど、お年玉って何?」と聞かれ、これには僕も驚いた。
(そうか、君たちはお年玉の存在すら知らなかったのか)
自分の友だちのようにスマホやゲームを買ってもらえない息子たちは、親に対してそれなりに不満があるようだが、生涯ベースでみたときの息子たちの幸福を考慮した上で、あえて物質面では不自由をさせている。
決して、ケチで育児支出を出し渋っているわけではない。親としてはもちろん子供の喜ぶ顔が見たいし、考えようによってはお金で解決するのが一番簡単なのだが、それをあえて禁じ手とし、その分「こころ」を使うことによって子供との関係性を高めるようにしている。
最終的な目標は節約ではなく持続的幸福にある。これはいくら強調してもしたりない歴然たる……。
あれ、今日の記事、いつの間にか息子たちへの言い訳みたいになってるゾ。
ソモソモナンノハナシダッケ…
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