数年前、H会長という地元経済界の重鎮に講演を頼まれた時の話。
会場はとあるホテルの宴会場。集まったのは地元の人間なら誰もが知る有名な企業の経営者ばかりだ。
講演に先駆け、事情通の友人からは、「ロータリーやJCの活動では飽き足らない、選りすぐりの人材が集まるすごい会だよ」とか、「なんせ大物ばかりだから、値踏みされているような気分になるかも」と脅されていた。
しかし自分がそのような理由で緊張することはないだろう、と楽観視していた。
僕はその人の社会的地位や学歴に頓着しない(そういう性格でなければ、医師という社会的地位を捨てたりはしない)。
その少し前にとある国会議員と飲む機会があったが、あまりの俗物ぶりに最初の数分で興味を失った。国会議員と知り合えてよかったなどとは、露とも感じない。
僕に講演を依頼してくれたH会長のことは好きだが、それは単に愉快な人だからであって、社会的地位はなんの関係もない(不思議なことに場末のバーで顔を合わせることが多く、いつも『おー、内山ちゃん!』と気さくに声をかけてくださる)。
そんな性格だから聴衆が社長連中だからといって、僕には何の影響もない……はずだった。
ところが実際はというと、かなり緊張してしまった。聴衆から強いオーラを感じた、などということでは、残念ながらない。
ホテル側の、会のメンバーや僕に対する下にも置かぬ扱いに、圧倒されてしまったのだ。
まずはホテルの駐車場にて。自分の車で行ったところ、昼食の時間帯でもあって満車だったのだが、名前を告げると一番いいスペースにあったコーンをさっとどけてくれた。
ここまでは、まあ、普通なのかもしれない。
しかしその後、ホテルに入るやいなや総支配人が歩み寄ってきて、挨拶をしてきたのには驚いた。
僕は到着予定時間を告げていなかったし(実際、講演会開始の30分前に着いてしまった)、総支配人は僕の顔を知らないはずだ。
ということは随分前から入り口付近に立って、それらしき人物が入ってくるのを待っていたということになる。
そのまま総支配人自らの案内で、会場入り。
昼食会の後に僕の講演という順なのだが、開始30分も前だからまだ受講者はいないし、配膳も始まっていない。にもかかわらずこの時点で、かなりの数のスタッフがサービス役として待機していた。
現役医師時代、講演会、勉強会に数多く出席した経験から、ホテルで行われる会合の雰囲気はよく知っているのだが、この会では通常の倍以上のスタッフが対応に当たっているようにみえた。
東南アジアの高級リゾートのような感じと表現すれば、行ったことのある人にはわかってもらえると思う。それだけ会のメンバーが大物揃いであり、ホテル側もVIPとして厚く遇しているということなのだろう。
僕に対する対応も、すこぶる丁寧だ。もちろん、僕に対する敬意からであるはずがない。僕を招いてくれたこの会、そしてそれを取り仕切るH会長に対する配慮からだろう。
医師時代はその社会的地位ゆえ、今回程ではないにせよ、それなりの厚遇をうける機会もあった。それが一転、医師を辞して著述業を志してからは、ひどい扱いをうけることも多かった。
世の出版社は無名の著者に冷たく、企画書を送っても返事さえもらえないことがほとんど。町の書店は驚くほど上から目線で、自著を置いてもらえるようお願いに行っても、押し売りを追い払うような対応をされることが多かった。
なるほど、僕から医師という肩書を取り除けばこんなものなんだな、と人としての小ささを実感させらた。
それがこの日は一転してVIP扱いだ。
僕はそのように丁重な扱いをうけることになり、得意になったり、舞い上がったりする性格ではない。むしろ逆に恐縮してしまい、ストレスをうけてしまう。
そんな具合で調子が狂い、冒頭で述べたとおり妙に緊張してしまったというわけだ。
一流のホテルでこのような扱いを受けることは、なかなか興味深い経験であった。
もちろん悪い気はしない。ただし重要視することもない。このような出来事はその時は愉快とはいえ、人生を長いスパンで考えればどうでもいいことだと考えている。
接客はにこやかであれば十分だ。腹の探り合いをしながらの高級ディナーより、気の置けない仲間との焼鳥屋で一杯がいい。
ただし実際に自分自身が厚遇されてみて、社会的に成功し、日常的にこのような扱いを受けていれば、それを失いたくない、すなわちリタイアなどせず実力者であり続けたい思う人が多いのもうなずける話だ、ということが実感としてわかった。
そういう意味での、いい経験だった。
余談だが、その講演の後、H会長に飲みにつれていってもらった。
1次会は高級な割烹で舌鼓。さて、2次会はどんな店に連れて行ってくれるのだろうとついていくと、そこは一見普通の居酒屋。
財界の大物も意外と地味な店に行くんだな、と意外に感じていると、そこに芸者勢が接待に集まってきた。H会長があらかじめセッティングしておいてくれたらしい。
そんな遊び方もあるのか、と僕が目を丸くしていると、H会長は悪戯っぽく笑う。
「料亭なんかいかなくていいのよ。居酒屋に芸者を呼ぶ方が気楽だし、2次会づかいもしやすい。それにほら、こういう遊び方なら内山ちゃんもできるでしょ?」
H会長はどうやら僕をもてなすだけでなく、地元の芸妓文化保持のため、若輩者に芸者遊びを教えたいという意図もあったようだ。さすが人生の達人である。
ではその後僕がそのような遊びを真似たかというと、もちろんしていない。面倒だし気を遣うし、料亭に行くより安いとはいえ、僕にはやはり分不相応に思える。
しかしまだまだ自分が知らない世界があると実感した点において、前述した講演会同様、実に興味深い経験だった。
世の中、いろいろあるものである。
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芸者遊びより自宅で一杯のほうが好きという、なんとも安上がりな性格。