さて、もし人間が合理的で利己的なら、できるだけ少ない金額を提示するはずだし、応答者はゼロ以外のどんな金額でも受け入れるはず。しかし実際には9ドルを渡す人は少ないはずだし、1ドルを受け取ってよしとする人も少ないはずだ。このゲームは、思いがけない授かりもの(たとえば10ドル)がプレーヤー1(提案者)にあたえられるところから始まる。プレーヤー1はこれを受けて、そのうちいくらを自分が取り、いくらを匿名のパートナー、すなわちプレーヤー2(受領者/応答者)にあげるかを決めさせられる。一方、プレーヤー2は、その提案を受けるか受けないかを決めることができる。受けた場合は、プレーヤー1の提案どおりの配分どおりで両者にお金が分けられることになっている。しかし受けなかった場合には、1も2も、ともに一銭ももらえない。
このゲームにおいてプレーヤー1の行動――すなわち、お金をどう配分するかについての提案――は、利他的行動や協力の尺度として使うことができる。かたやプレーヤー2は個人的コスト(一銭も得られない)を負ってでも、フェアとみなせる提案をしてこないような非協力的な他人を罰していることになるからだ。このゲームは本物の賭け金を使って行われるが、匿名なので評判効果は働かないから、プレーヤーが将来の関係を気にする必要はない。
アメリカでのサンプルの場合、一般に独裁者の95パーセント以上がなにがしかのお金を受領者に与え、大半は五分五分の配分を選ぶ。寄贈分の平均は金額のおよそ40パーセントだ。だがこうした行動はどれだけ普遍的なのだろう?(中略)
ペルー南東部の熱帯林でのフィールドワーク中に、市場経済に従事していない無文字集団のマチゲンガ族に最後通牒ゲームをやらせてみることにしたところ、意外な事実が判明した。なんと彼らは、普通よりずっと古典的理論に沿った行動をとった。つまり、非常に利己的にふるまったのである。最も多かった提示配分は全額の15パーセントで、ほとんどが低い提示額だったにもかかわらず、それが断られることもほぼ皆無に等しかった。
ボリビアのチマネ族は、マチゲンガ族と同様に、平均26パーセントという低い額を提示した。ミズーリ州の地方部のアメリカ人はもっと寛大で、約50パーセントを提示していた。
科学者たちは、この異文化間の差異を説明するかもしれない文化的、生態的な要因についても評価した。全体を通じて見られたことは、どの社会においても人間は根っから利己的ではなかったが、社会によって優位な差異はあり、その際の多くは社会がどれだけ市場志向か、そして血縁以外との協力関係が生きていくうえでどれだけ重要かに関係している(このどちらもが気前のよさを促進する)ということだった。
(中略)断られる提示の割合にも差があった。たとえばカザフ人の牧畜民のあいだでは、提示額が全額の10パーセントを超えればもう拒絶されることはなかったが、パラグアイの園芸民のアチェ族のあいだでは、すくなくとも全額の51パーセントは提示されないと、拒絶する人がゼロにはならなかった。
調査されたなかでもっとも気前がよかったのは、インドネシアのレンバタ島にあるラマレラ村の狩猟採集民だ。海辺の集落に住む1000人ほどの集団で、小舟と錨を駆使して外洋のクジラを獲る。この体を使う危険な仕事には、大勢での綿密な協調と協力が欠かせない。おそらくそのために、ラマレラの民は最も協力的な人びとと測定された。彼らが最後通牒ゲームで提示した割合は、平均およそ57パーセントだ。
一般的に言って、より高い額を提示する文化ほど、拒絶率は低く、逆もまた同じだった。したがって、提案者はごく自然にそれに応じた提案をした。世界中どこの人間も、自分がどういう人間と取引しているのかを知っていた。
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内山 直
作家、医師、医学博士。
1968年新潟県新潟市に生まれる。新潟大学医学部卒業、同大学院修了。
2004年に独立し自分のクリニックを立ち上げ、「行列のできる診療所」として評判を呼ぶが、その後アーリーリタイアメントを決意。
2016年2月、クリニックを後輩医師に譲りFIRE生活を開始する。
地方都市でゆるゆると生息中。
「お金、地位、美貌」で得られる幸福はたったの10%で遺伝が50%とされています。
残りの40%に目を向ければ、幸せはすぐにやってくる!をキャッチフレーズに幸福の啓蒙活動を継続中。