手を動かすとき、「動かしたい」と思うのと脳が動かす準備を始めるのはどっちが先?


一昨日から紹介しているのが池谷裕二著「自分では気づかない、ココロの盲点 完全版 本当の自分を知る練習問題80 (ブルーバックス)」。
昨日は「心地よさ」や「快適さ」の度合いでしかなく、究極的には「好きか嫌いか」の問題に帰着するとの一節を紹介した。たとえば、「君の態度は間違っている」と自信満々に怒る人がいるが、「君の態度は嫌いだ」と言い換えても意味は変わらないことになる。
今日紹介するテーマも僕らが自分自身に抱いている錯覚を浮き彫りにすることになるだろう。

p305
お気に召すまま

両手にレバーを握ってもらいます。レバーにはボタンがついています。
好きなときに、左右好きなほうのボタンを、自分の意志で、自由に押してください。
この実験中、あなたの脳活動を測定します。
さて、手を動かす準備をする脳活動のタイミングは次のどちらだったでしょうか。
① 「押したい」と思ってから、脳が押す準備を始める
② 脳が押す準備を開始してから、「押したい」と感じる

今日も本書へのリンクの下に正答を掲載する。

前振りから検討がついた人が多いと思うが、

答え ② 脳が押す準備を開始してから、「押したい」と感じる

驚くなかれ、「押そう」と決める前には、脳は「押す準備」を始めています。無意識の脳回路が押す準備を整えたところで、ようやく「押したい」という感情が湧きあがります。
自由な意志は「後づけ」の感情です。脳を測定すれば、みなさんがボタンを押したくなる少なくとも7秒も前には、左右どちらの手で押そうと意図するかを、当人よりも先に知ることができます。
意識に現れる「自由な心」はよくできた幻覚にすぎない――これはほぼ間違いないでしょう。「意志」は、あくまで脳の活動の結果であって、原因ではありません。
(中略)
ただし、この事実を日常的に認めるには、どことなく勇気が要るのもまた事実です。なぜならヒトには「自由でありたい」というロマンティックな願望があるからです。
しかし、自由を願うときに忘れてはならないことは、その「自由」とはいったい何からの自由かという点です。まさか人生経験という「現実」から自由になりたいわけではないでしょう。こうして現世で生きているということ自体、すなわち「自由でない」ことにほかなりません。


仕事が忙しかったり、家庭の用事が多かったりして、「自分には自由がない」と不満をもっている人も多いかと思う。
しかし僕らはそういう次元ではなく、本当に不自由に生きていることがこの実験から理解していただけると思う。
自由な意志は錯覚にすぎない。
つまり日々を真に充実させるためには、自己内部への深い探求が必要ということになり、それなしに生きるのであれば、「たまたま生じた脳の揺らぎに隷属しながら一生を終える」ことになってしまう。
けっこう怖くない?

さ、瞑想しよっと。



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ティーブレーク。端に映っている学ランはこの春から中学生になった三男。

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内山 直

作家、医師、医学博士。
1968年新潟県新潟市に生まれる。新潟大学医学部卒業、同大学院修了。
2004年に独立し自分のクリニックを立ち上げ、「行列のできる診療所」として評判を呼ぶが、その後アーリーリタイアメントを決意。
2016年2月、クリニックを後輩医師に譲りFIRE生活を開始する。
地方都市でゆるゆると生息中。

「お金、地位、美貌」で得られる幸福はたったの10%で遺伝が50%とされています。
残りの40%に目を向ければ、幸せはすぐにやってくる!をキャッチフレーズに幸福の啓蒙活動を継続中。

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