昭和初期の自己啓発講演家で、この分野に詳しい人にとっては有名な人物だが、一般的には中村天風(なかむらてんぷう)
明治9(1876)年生まれ。
日露戦争の軍事探偵として満蒙で活躍。帰国後、当時不治の病であった肺結核を発病し、心身ともに弱くなったことから人生を深く考え、人生の真理を求めて欧米を遍歴する。
一流の哲学者、宗教家を訪ねるが望む答えを得られず、失意のなか帰国を決意。その帰路、奇遇にもヨガの聖者と出会いヒマラヤの麓で指導を受け、「自分は大宇宙の力と結びついている強い存在だ」という真理を悟ることで、病を克服し運命を切り拓く。帰国後は実業界で活躍するが、大正8年、病や煩悶や貧乏などに悩まされている人々を救おうと、自らの体験から“人間の命”の本来の在り方を研究、「心身統一法」を創見し講演活動を始める。
この教えに感銘を受けた政財界など各界の有力者の支持を受け「天風会」を設立。その後50年にわたり教えを説く。
東郷平八郎、原敬、北村西望、松下幸之助、宇野千代、双葉山、稲盛和夫、広岡達朗など、その影響を受けた人々は多様で、自らの人生、事業経営に天風哲学を活かしている。
昭和43(1968)年、92歳で生涯を閉じる。
諭された後、中村天風はこう反省している。p104~
「お前の生きる力が、その言葉の良し悪しによって、やはり良くも悪くもなるじゃないか」
「しかし本当に具合が悪いとき、具合が悪いといっちゃいけないんですか」
「具合が悪いとき、具合が悪いといって癒るか」
「いや、癒りはしませんけど、やはり痛いときは痛いといいます」
「(前略)それは当たり前のこと。だからいってもいい。だが重要なのはそういったときにそれから後を自分が考えなければよい」
「それはどういう意味ですか」
「お前は今日はどうも頭が痛いとか、今日はどうも熱がありますとかいっている言葉の後に、愉快だとは思わない、実に不愉快だ、たとえ言葉に出さなくても心の中で思っているだろう。何ともいえないいやな気持だなあ……と。そして普段とちがって、よくない状態が体に現れてくれば、それを元にして痛いとか痒いとかいいながら、それが元でもっと悪くなりはしないだろうか、死にやしないだろうかというふうに、現実よりも過大に神経をつかいはしてないか。それがいけないのだ。寒いとか暑いとか痛いとか痒いとかいうことは構わない。それは現実に対する表現だから。それに対してお前はつけ加えなくてもよいことをしょっちゅう、つけ加えているじゃないか」
これをふまえて、中村天風の教え。p106
私は本当に恥ずかしい思いをした。
いろんな理屈をさかんにいって、卑近な学問を研究したために、普通の人よりも人生に関する理屈をべらべらいうだけで、いっているそばから、自分のいっている理屈に自分が苦しめられていた、ということを考えてみると、実際自分ながら、あんまり利口じゃないなあと思った。
たとえば暑い日、「暑くてやり切れない」など言うのは厳禁で、「おお暑い、ますます元気がでるねえ」という具合に、常にポジティブな言葉遣いを心がけることにより、この世の中は理想化されていく、と中村天風は説いている。p109~
常に言葉に慎重な注意を払い、いかなるときにも、積極的以外の言葉を使わぬよう心がけることである。そうすると、それが人生哲学の第一原則である暗示の法則を立派に応用したことになり、期せずして健康も運命も完全になる。
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内山 直
作家、医師、医学博士。
1968年新潟県新潟市に生まれる。新潟大学医学部卒業、同大学院修了。
2004年に独立し自分のクリニックを立ち上げ、「行列のできる診療所」として評判を呼ぶが、その後アーリーリタイアメントを決意。
2016年2月、クリニックを後輩医師に譲りFIRE生活を開始する。
地方都市でゆるゆると生息中。
「お金、地位、美貌」で得られる幸福はたったの10%で遺伝が50%とされています。
残りの40%に目を向ければ、幸せはすぐにやってくる!をキャッチフレーズに幸福の啓蒙活動を継続中。