p100~
なかでも特別に印象的なのは、有名な「分離脳」の実験だ。左脳と右脳を連絡する繊維の束(脳梁)を手術で切断した人たちが被検者となった。(中略)
その鍵は患者の視野の片側半分にだけ情報を提示して、片側の大脳半球にしか情報が届かないようにすることだった。たとえば、ある文字を左視野にだけ提示すると、それは右脳で処理され、左脳はまったく入力されない。右脳と左脳が手術で分離されているからだ。
大多数の人では左脳が言語をつかさどっている。そのため、右脳に「木の実」という文字を提示された患者はそんな提示にはきづかなかったと報告する。ところが、さまざまなものを入れた箱を左手(右脳がコントロールしている)でかきまわして調べてもらうと木の実を選び出す。
この発見一つとっても、「自我」に対する従来の観念に疑問がわいてくる。つぎの発見はどうだろう。右脳が起こした行動について左脳に説明させようとすると、左脳はもっともらしい話をでっちあげようとする。右脳に「歩け」という指示を送ると、患者は立ち上がって歩きはじめる。ところが、どこへ行くのかと質問すると、答えはその指示を知らされていない左脳から返ってくる。しかも左脳は、左脳なりの視点から見て筋が通る答えをひねりだす。患者のひとりはいかにももっともらしく、飲みものをとりに行くところだと答えた。そのうえ、とっさにそのアドリブをひねりだしている当人、あるいは当人を代表して話している左脳だけはその話を信じきっているようなのだ。
ある実験では、ニワトリの足の写真を患者の左脳に見せ、雪景色の写真を右脳に見せた。その後、両方の大脳半球に見えるように写真を何枚も並べて提示し、そのうちの一枚を選ばせた。患者の左手はスコップを指した。おそらく、左手をつかさどる右脳には雪景色を見せたため、雪かきをするスコップを選んだのだろう。患者の右手はニワトリを指さした。ガザニガ(実験者)はこのあとのできごとについて詳しく書いている。「そこで、なぜその二つを選んだか尋ねた。患者の左脳にある言語中枢が答えた。『それは簡単ですよ。ニワトリの足とくればニワトリですからね』。左脳は知っていることをやすやすと説明した。左脳はニワトリの足を見た側だ。そのあと、左手がスコップを指さしているのを目にすると、患者はなんのためらいもなく言った。『それに、ニワトリのふんを片づけるにはスコップがいるでしょう?』。この場合も、言語をつかさどる脳の領域が行動についてまちがってはいるものの筋が通った説明をし、しかもどうやらその説明が正しいと確信しているらしかった。
p166~
たとえば、右脳に<笑え>と示す。するとちゃんと笑ってくれる。ハハハハハ……と。何が表示されたかは把握できていないけど、正しい行動が取れる。笑えるんだ。
そこで今度のテストでは、「何が表示されたか」という内容を問うのではなくて、その行動の「理由」を尋ねてみる。つまり「どうして笑っているの」と訊くの。すると、「だって、あなたがおもしろいこと言うから」と味わい深い返答をしてくれる。
(中略)本人は「<笑え>とモニターに出たから」という本当の理由に気づいていないから、「笑っている理由」を探し始めるんだ。そして現状に合わせて都合よく説明してしまう。
こんなふうに脳は、現に起きてしまった行動や状態を、自分に納得のいくような形で、うまく理由付けして説明してしまうんだね。
もっと複雑なテストをやっても似た現象が見られるよ。右脳と左脳に違う単語を表示してみる。たとえば、左脳に時計、右脳にドライバー、と見せる。すると、目の前に並べられた物の中から、きちんと時計とドライバーを選べる。もちろん、本人には時計と表示されたことだけが意識にのぼる。左脳だからね。にもかかわらず、ドライバーも一緒に手に取る。
そこで理由を尋ねてみる。「なぜ時計とドライバーを持ったのですか」と。するとこんな答えが返ってくる。「時計という単語がモニターに出ました。だから時計を取りました。でも、時計が止まりそうだったから、電池を交換しようと思ったのです」“
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内山 直
作家、医師、医学博士。
1968年新潟県新潟市に生まれる。新潟大学医学部卒業、同大学院修了。
2004年に独立し自分のクリニックを立ち上げ、「行列のできる診療所」として評判を呼ぶが、その後アーリーリタイアメントを決意。
2016年2月、クリニックを後輩医師に譲りFIRE生活を開始する。
地方都市でゆるゆると生息中。
「お金、地位、美貌」で得られる幸福はたったの10%で遺伝が50%とされています。
残りの40%に目を向ければ、幸せはすぐにやってくる!をキャッチフレーズに幸福の啓蒙活動を継続中。