6月9日(金) 3日目。


合宿3日目。今日も5時起床。拍子木の音を合図に、相変わらずひとりも出遅れることなくさっと起きる。見事なものだ、って、僕もだけど。エヘン。
一晩寝てすっきりしたのか、帰りたい気持ちはかなり弱まっていた。それより、椅子坐でやれるところまでやってやろうという意気込みのほうが強い。
清掃を手伝い、顔を洗って休憩室によると、僕を探していたらしいT会長から声をかけられた。
「今日、朝の座禅の後、両老師とのお茶会があります。内山さんも出席してください」
合宿中、何を言われても「はい」と即答してきた僕だが、このときは言葉が出ず、間が開いてしまった。この後に及んで、まだ僕に負荷をかける? お茶会って、これだけ膝が痛むのに正座? 第一、お茶の作法なんて知らないし!
僕の逡巡が伝わったようで、T会長は事情を説明する。
「朝の茶会は両老師は毎日出席、他のメンバーは入れ替わりで、最終日までに全員が一度は出席することになってるんです。今日の午後からは仙台禅会の方が増えるので、新潟勢は今朝のうちにすませたいんですよ」
そう言われれば断れない。昨日の提言をもって新規イベントは最後であり、後は同じことの繰り返しだから、心理的負担はどんどん減っていくはずと踏んだのだが、まだまだ気を抜くことはできないようだ。
この日もまずは5時半から45分の座禅を2回。椅子坐だと膝に負担はまったくなく、快適に座れる。よし、残り3日はこれで乗り切れるはず。しかし慣れた座禅とは体がうける感じが違い、なかなかしっくりこない。体が安定しないのにつられるように集中も途切れがちで、これならまだ家でやっていたときのほうがまし、というレベル。なんら必然性のないつらい体験を自らに課しながら、人生の貴重な時間を浪費してしまっているのではないか、と暗い気持ちになる。
終了後、緊張している暇もなくスーツに着替え、茶会へ向かう。今更お茶の作法を勉強しても間に合うわけがないので、今までの儀礼同様、前の人の様子をしっかりチェックし、真似しようとだけ心に決める。
まずは入口前の廊下で土下座のような挨拶をし、立ち上がらず、膝をついたまま室内にずり上がる。すると、すでに室内で待っていた総裁老師が、「内山さんは膝がつらいだろう。ほら、クッションをお持ちして」とお茶の係に声をかけてくれた。よく見てるなあ。これをお尻の下に置いてから座ると、おっ、全然足に負担が来ないし、膝も痛まない。
最大の問題である痛み問題がクリアされ、ぐっと気持ちが楽になった。
その後も、前の人の動作をしっかり観察し、真似ることに専念する。お菓子を置く紙、次いでお菓子が回ってくるので、次の番の人に「お先に」とお辞儀をしてから、自分の分を受け取り、次の人に回す。さらに前の人のお茶が来たあたりで自分のお菓子に口をつけ、といった感じ。おそらくたくさん間違えただろうし、無粋な初心者であるのは丸見えだっただろうが、痛くさえなければ後は全然気にならない。旅の恥はかき捨てだ! 地元だけど。
お茶会の席で両老師から質問をうける。
「仕事は何をされているのですか?」
FIREして無職ですとは、とても言いづらい。
そこで、「医師です」と答える。医師免許はまだあるし、ほぼ形だけとはいえ、後輩医師のクリニックに理事として名前は残っている。医師と答えても嘘ではない。
「開業ですか、それとも勤務医?」
「ええと、実は診療はもうしていないんです」
話がややこしくなるのを防ぐため、ここは正直に返答。
「まだお若いのに、なんでまた?」
当然の質問に、「最近は、原稿を書く仕事が忙しくて……」と言葉を濁す。
ちなみに本ブログを毎日更新しているから、これは嘘ではない。医療系の原稿と勘違いするかどうかは先方の勝手だ。「正直に本当のことを言っているわけではないけど、嘘はつかない」というぎりぎりの線での受け答えを続ける。
その辺のやり取りはお手のもの。考えてみれば、何かとごまかすことが多い人生だったなあ、と感傷にひたりながらも卒なくやり過ごす。
そして、そろそろお開きかな、というタイミングでG老師から声がかかった。
「では内山さん、昼食後に面接をするので、私の部屋に来てください」
ぐおぉぉぉぉぉ。またしても新たなイベント到来。まさか老師と一対一で面談とは。緊張するなあ。
いつまでたってもイベント一周とはならず、新たなストレスが重く双肩にしかかる。なかなか楽にならない……。

この日は雨のため、作務は屋内。僕は禅堂の畳の拭き掃除を命じられた。
よく雑巾を絞り、四つん這いになって丁寧に拭いていく。禅堂は道場の命。作務でよく掃除されているだろうから、たいして汚れていないと思いきや、スモーカーの部屋のような茶色い汚れがそれなりに雑巾についてくる。しばらく拭いてから、なるほど、これは座禅や儀式のときに焚く線香の煙が原因だろうと見当がついた。
それにしても、恵みの雨とはこのことだ。膝が痛いのに加え、1日3時間の草むしりは慣れない僕にとって腰、ふくらはぎに負担があり、そちらもそれなりに苦になっていた。それと比べると、四つん這いでの畳拭きは体に優しく、どこも痛くならない。
痛くないってすばらしい! 歌でも口ずさみたい気分になり、 I'm singing in the rain ~ と出そうになるが、そもそも「集中のための作務」であることを思い出し、できるだけ雑念を排除しようと心掛ける。舶来の歌などもっての他!
明日のために、拭くべし、拭くべし!
楽な作務の後であっても、恒例のお茶には参加。今回もお菓子をいただく。いくらなんでもお菓子の食べ過ぎという気がするが、本当に本当にこれしか楽しみがないのだからしかたない。
ちなみに道場に到着すると同時に切ったスマホのスイッチは、ずっとオフのまま。最初は俗世の情報によって雑念が増えるのを懸念しての判断だったが、今はそれより、帰りたい気持ちが再燃しそうで怖い。
この時の僕の頭は、昼食後に控えたG老師との面会が大半を占めていた。どうせまた正座となれば膝は痛いし、緊張するし、できれば避けたい。でもどうせ避けられないのであれば、せっかくの機会だ、土産代わりに何かおもしろい情報を持って帰りたい。
そこで、「そうだ、無我」だ、と思いついた。
「釈尊が瞑想で悟った通り、確固たる自我はないようだ」との科学的知見を、今まで何度も当ブログで紹介していた。興味があるようなら下の連載を読んでみてほしい。
「作話について」
「なぜ仏教は真実なのか」

しかし僕が知っているのはあくまでも「理論上」の話で、「自分がない」ことを実感として深く理解しているという人には、今まで会ったことがない。
臨済宗の老師はどうなのか、ダイレクトにぶつけてみてはどうだろう? ひょっとして怒られるかもしれないが、遠慮してせっかくのチャンスを逃す方が惜しい。
というわけでこの後、2回の座禅と昼食を終え、いよいよG老師との面会に臨むことになった。

道場のつくりは簡単に言うと、こうだ。
玄関から入って廊下を左に進むと、左側に応接室、更衣室兼休憩室。右には洗面所・風呂、男性用トイレ、女性用トイレ、さらに女性用宿泊部屋に進む廊下(ここから先は入っていないのでわからない)が並び、つきあたりが厨房。ちなみにこの日からは女性が増え、応接室も女性の宿泊部屋へと変わった。
玄関から右にいくとすぐ階段があって、2階には45畳の禅堂のみ。座禅、提唱、講演、儀式に使われるほか、夜は男性陣がここで雑魚寝している。
その階段を上らず進むと、右にさらに進む廊下があって、「隠庵」と表示されている。いくつか個室があるようで、朝の茶会が模様された茶室に加え、ふたりの老師が個室として使っている部屋もあるらしい。ほとんど入るチャンスはなかったので、ここの構造もよくわからない。
G老師の部屋はその一番奥にあった。僕が勝手に行くことは許されず、Nさんが侍者としてついてきてくれた。待つことなく、すぐに入室。Nさんに事前に確認したところ、茶室でのようにずり上がる必要はないそうなので、入り口で膝をついて礼をした後、普通に歩きながら中に入り、再度正座する。
両老師とも、儀式や座禅中、会員に対してはとても厳しく、すぐに大声で叱咤する。しかし新到者への対応は概して温和で、この時のG老師も優しいほほえみを浮かべていた。まあ、宗教団体としては新規会員のリクルートもあるだろうから、部外者にはきつく当たれないのであろう。想像ではあるが、入会するとなったらその途端に豹変するはず……ブルルル。
覚えておいでだろうか? G老師はパジャマ姿で作務に参加されている、漫才師の小峠と雰囲気が似ている方である。ほぼ坊主、といっても剃り上げているわけではなく、老化で自然にそうなったお姿らしく、後頭部に少しだけ産毛が生えている。
年は70歳代前半か。やせ形で、もうひとりの総裁老師が大柄なのと対照的だ。また、総裁老師は「体育会系」という感じなのに対し、G老師は学者っぽい雰囲気があり、その点でも好対照。
僕が事前に提出したアンケートを元に、いろいろと質問がくる。興味深く思ってくれたのはやはり医師を辞めた経緯のようで、経済的なこと、その後の執筆活動の内容などを聞いては、「ほお」と声を出したり、唸ったり。
どうも、変わり者ですいません。
一通りの問答の後、G老師が訊ねてきた。
「大体私から聞きたいのはこんなところだが、何か質問はありますか?」
今だ。聞いてみよう、と前のめりになる。
まずは脳科学、あるいは心理学の研究から、確固たる自我などないと僕が結論付けることになった根拠となる知見をいくつか紹介した上で、これは2500年前に釈尊が悟った内容とほぼ同一であり、仏教の教えに科学が追いつきつつあるように思えてならない、と力説する。
するとG老師は厳しい顔で言い放った。
「で、それがどうした?」
え、どうしたと言われても……。僕はすごい話だと思うんだけど。それより非会員に対する遠慮モードはもう終了?
「無我を理論的に理解したってしょうがない。それで内山さんの人生は変わりましたか?」
「以前より自説にこだわったり、むきになったりすることは減ったように思えますが……」
「そんなんじゃダメだ」G老師の言葉に迫力が増す。「無我が分かればすべてが変わる。ものの見方から何から、180°ガラっと違ってくる。でも理屈じゃないんだ。感覚的にそれがわからなければ何の意味がない。もちろん簡単ではないが、さりとて、出家しなければ成しえないほどのものではない。とくに人間禅では古人の知恵がつまった公案がそれを助けてくれますから」
でた、公案! G老師は体を僕の方に傾け、迫ってくる。
「私に弟子入りするといい。内山さんを受け入れるための条件はふたつだけだ。一生かけて修行をする強い決心をすること。そして年4回の合宿は必ず毎回来ること。合宿がない間は毎日一炷香(いっちゅうこう;線香が燃え尽きるまでの時間でだいたい45分)座禅しなさい。それを全身全霊でやれば、ときどき、飲み込みが悪くてうまくいかない奴もいるにせよ、大体3年で無我がわかる。禅の修行は一生をかけて行うにせよ、それが悟りの最初の一歩です」
何とも力強い口調に圧倒される。喪黒福造ならここで「ドオオーン」とひと押しくるところだ。
でも、老師からの条件、本当にふたつだった? もっとあったような気もするんだけど……。
閑話休題。そもそも僕は「本当に無我なのか」と訊くつもりで質問を始めたのだが、どうやら「無我」は「当然」のことらしく、いきなりどうしたらそこに到達できるかの話になってしまった。しかも「無我がわかる」のはまだ修行の入り口とのこと。
3年で無我がわかる? すごいなあ。でも、入会してこの合宿に毎回参加? それはつらい。あまりにもつらい。正座のまま時間がたったせいか、膝も再度痛み出してブレーキをかける。
「まあ、入会まで決意するのは難しいでしょう。しっかりと考えて、一生を禅に捧げる決意が固まってからでよろしい」
えっ、基本的に入会する前提になっちゃってる? でもとりあえず猶予がもらえたようで、つかの間ほっとする。
「ええと、私が次にくるのは、確か来月だな」
G老師はおもむろに手帳を広げた。「7月22日に短い会がある。これには来なさい」
いや、それは避けたい。老師、本当は今だってできれば帰りたいくらいなのですよ、と心中で叫ぶ。
それに6月の合宿でこれだけ暑さがきつく、シャワーすら浴びられないというのに、7月下旬の合宿ではどうなることか!
「老師、すいません。7月下旬となると息子たちの夏休みも始まり、いろいろ行事もあります。家に帰ってスケジュールを確認しないことにはなんとも」
するとG老師は目をむき、唸るように言った。
「子供の行事と摂心会と、いったい何の関係があるんだ!」
ひょっとして冗談でからかわれてる? と思いG老師の目をのぞき込むが、いたって真剣な表情。子供の行事が合宿参加に支障をきたしうることが、本当に理解できないようだ。
なるほど、突き抜けている。悟りとはかくたるもの……なのか?
後でこの話を会員の方にしたら、「そうなんだよ」と笑われてしまった。
「老師クラスになると物の見方が我々とは全然違うから、俗世の常識が通用しないことはあるねえ」
おもしろい。実におもしろい。
僕は大いに感銘をうけて、G老師の部屋を去った。
やはり自己などない。それはもう、議論する余地がないほど、完膚なきまでに、ない。少なくともG老師の感覚では。
そして3年の間、真面目に修行すれば、誰でも無我が理解できるらしい。
どうですか、皆さん?

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休憩室に戻ると、侍者としての役目であるらしく、Nさんが待機してくれていた。せっかくだから、さきほど懸念したことをさりげなく訊ねてみる。
「来月も摂心会がありますが、夏だと暑さがきつくないですか」
Nさんは深く頷きながら答えてくれた。
「夏の摂心会は……まさに地獄だよ……」
やっぱり! これで次の合宿はパスだ! G老師、ごめんなさい。
「でも、まあそれも修行なんだけどね」
そう言ってNさんはニヤリと笑うが、もはや僕の心には届かない。Nさんも、ごめんなさい!
ちなみにこの後、Nさんは前日同様、「うわあ、問題発生!」と休憩室にいる会員たちの関心を惹くことになる。
「台所のエアコンが動かないからリモコンの電池を新しいのと取り替えたんだけど、それでも動かないのよ。よりによって摂心会の最中に故障なんて参ったなあ」
しかしNさんの「俗世間的な」常識のなさは、前日、すでに理解している。僕はさっと進み出て「チェックします」と調整役を買って出た。
予想通り、電池はプラスとマイナスが逆に挿入されていたのであった。でも、わかる! Nさん、ご自宅ではこういう雑務はしないんですよね!

閑話休題。この時点で時刻は午後1時半。作務まであと1時間あるのだが、面接での興奮でとても昼寝できる気がしなかった。
では、どうする? そうだ、今こそシャワーだ!
合宿開始から1日半たったが、やはりまとまった休憩がとれるのは昼食から午後の作務までの間だけで間違いないようだ。しかしどうせ午後の作務でどっさり汗をかくことになるので、この時間帯にシャワーを浴びる人はいない。
しかし、今じゃなきゃいつ入るか? 今でしょ!
水曜日の夜に始まって日曜日の昼に終わるこの合宿。時間で考えれば金曜昼の今がちょうど「中間」にあたる。今、頭を洗ってしまえば、あとはボディ・シートで凌げるはず。
そう判断した僕は、T会長を探し出して許可を得て、ささっと浴室を使わせてもらった。予想通り、体はヌメヌメ。我ながら、異様なまでに汚い。でもこれで(いったんは)すっきりだ!

雨は午前中に上がってしまったので、午後はまたしても外作務。個人的には雨乞いでもしたい気分だ。ここで仙台組が合流し、一気に人手が増えた。総裁老師が
「明日からもいつ雨になるかわからないから、今日終わらせるつもりでやるぞ」
と皆にはっぱをかけ、自ら脚立に登る。
僕は例によって草むしり。自分でいうのもなんだが、鎌の使い方も少し様になってきたように思える。せっかくシャワーを浴びたのに、すぐ汗だくになるが、これは承知の上なので気にならない。
1時間半の作務時間が終了に近づき、ほとんどの参加者より若く、毎日運動は欠かさない僕でさえ、いい加減のどの渇きがつらくなってきたとき、総裁老師の野太い声が響いた。
「このペースじゃ終わらねえ。おい直日(T会長)、作務延長でいいか?」
T会長はさすがに驚いたようで、一瞬、間が開いたような気もしたが、その後すぐに、
「はい、けっこうです」
との返答。ええっ、まじで?
しかし日程にある静坐を完全に中止にする気はないようで、T会長はすばやく参加者を「作務延長組(庭作業に長けていて、老師たちを補佐できる男性陣)」と静坐参加組「女性と、庭作業に長けていいない男性陣」に振り分ける。
それにしてもT会長の判断は早く、常に的確だ。この合宿を通じて、新潟を代表し、会をとりしきるT会長の采配ぶりにに大いに敬服するようになった。以前も書いたが、60歳すぎで職業は大学教授。
今回のように老師たちから無茶ぶりを受けたり、筋違いな叱責を受けたりもするのだが、「はい」、あるいは「すいません」と言いながらも、臨機応変に状況を整える。この調整能力がまず、すごい。
さらに叱られて不快そうな顔をみせることはなし。逆に、以前も書いたように、年長の会員や新到者を厳しく注意することもあるのだが、それもまったく後をひかず、ケロッとしていりう。まさに「二念を継がず」が日常でも板についている感じだ。
そして、とにかく休まない。作務後のお茶休憩には顔を出すが、これはむしろ「県外からの参加者をもてなす」、あるいは「自分が行かないと、皆、遠慮してなかなか集まらない」といった配慮からではないかと思われる。
その他の時間は、ほとんどの参加者がくつろいでいる昼休憩などでも、不足した資料の追加、買い出し、老師たちからの呼び出しなどで常に動いており、のんびりする姿を見たことがない。
就寝時は大抵、翌日に足りなそうなものを買いに行っていて姿はみえないが、翌朝の起床時にはちゃんと皆と一緒に禅堂で起き出すので、どこかの時点で寝床に帰ってきていることになる。
話を伺うと、御父上がそもそも在家の臨済宗信者で、この合宿には高校3年生のころから毎回来ているとのこと。なるほど、筋金入りだ。
禅修行を続けるとTさんのようになれるのだとしたら、僕も入会し、G老師に教えを乞おうか、という気にもなってくる。そのくらい、見事な采配ぶりにみえた。

さて、老師ふたりと一部の男性会員たちが作務を続ける中、新到者の僕は予想通り静坐に割り振られた。その後は夕食、そして下読みとそれに続く提唱。この日はG老師の担当で、前日より膝の痛みが楽になっていた僕は、しっかりと聞くことができた。お題は「証道歌 11~15段」。とてもおもしろかったが、長くなるので内容は省略。
夜の座禅は前日同様45分を3回。初日が2回だっただけで、基本的には3回あると考えたほうがいいようだ。細かい話に聞こえるかもしれないが、実際に参加している初心者の立場から言わせてもらうと、同じ3回であっても、あらかじめ聞いていて、その覚悟があるのかどうかで精神的に大きな違いがでてくる。
相変わらず椅子禅なので膝は楽だが、今度は首や背中が痛くなってきた。座禅と違い骨盤がしっかり固定されず、上半身が不安定になっているようだ。あるいは夜には精神的に不安定になりがちで、それが悪化因子になっているのかもしれない。精神的な落ち込みが肉体の痛みを呼び起こし、それがさらに精神的なストレスに、という悪循環が生じているという可能性も。
前日といいこの日といい、夜の座禅タイムは心身ともに調子が悪いのである。
座禅終了後、新潟の会員であるHさんに相談する。話が複雑になるので割愛したが、Hさんは僕の住居近くにある公民館で、週に1回、坐禅の指導をされている。今回、合宿が行われている道場は僕の家から遠いので、前もってHさんの会に何度か通い、座り方の指導を受けていた。
HさんはNさん同様に70歳代の印象。温和で、合宿ではよく働き、坐禅の指導も熱心だ。痩身で長身、かつ彫りの深い二枚目だから、若い頃はさぞかしおモテになっただろう、と容易に想像がつくタイプである。
そのHさんからは、
「膝や足首が痛むのは、慣れるまでは仕方がない面もあるが、背中や首が痛むのは正しい姿勢で座れていない証拠」
と厳しいご指摘。
背骨をひとつひとつバランスよく積み上げて、まったく力を入れなくても骨盤の上にすっきり頭が乗るようにさえすれば、上半身が痛むはずがない、と教えてくれる。なるほど、と納得する。
こんなふうに、いちいちアドバイスを頂けるのは本当にありがたいし、なんとも贅沢な話だとも思う。これだけでも合宿に参加した意味はあったのではなかろうか。たとえその他のほとんどのことがうまくいかなかったとしても、だ。
よし、上半身のバランスを明日の課題にしようと決めて、3日目も終了。
想定通り風呂には入れず、使い捨てボディ・シートで体を拭く。もう、この合宿中にシャワーを浴びることはないだろう。今日の昼、1回浴びておいてよかった。日常ではありえない不衛生さだが、こういうもんだと思えばまったく問題はない。
人類の長い歴史を鑑みれば、庶民が毎日石鹸を使うようになったのなんて、まるで昨日のことのように最近の話なのであ~る。うきゃっ。

倒れこむように寝具へ。たちまち意識を失い、爆睡す。


シリーズ1回目からお読みになりたい方はこちらから。
臨済宗の道場での座禅合宿に参加してきた。





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内山 直

作家、医師、医学博士。
1968年新潟県新潟市に生まれる。新潟大学医学部卒業、同大学院修了。
2004年に独立し自分のクリニックを立ち上げ、「行列のできる診療所」として評判を呼ぶが、その後アーリーリタイアメントを決意。
2016年2月、クリニックを後輩医師に譲りFIRE生活を開始する。
地方都市でゆるゆると生息中。

「お金、地位、美貌」で得られる幸福はたったの10%で遺伝が50%とされています。
残りの40%に目を向ければ、幸せはすぐにやってくる!をキャッチフレーズに幸福の啓蒙活動を継続中。

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