6月10日(土) 4日目。


合宿4日目。明日の午後には解散だから、丸1日道場で過ごすのも、ここで眠るのも今日が最後ということになる。終わりはみえてきた。日が出ている間は落ち込みにくいという要素もあるのだろうが、精神状態は良好で、帰りたい衝動もさほど起きない。
これまでと同様、起床→座禅→朝食→外作務(雨は降らず。嗚呼)。
庭木もすっきりだ。

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作務前。

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作務後(撮影は昨日)。

そして休憩タイム。このときのお菓子が楽しみなのは相変わらずだ。
さて、この合宿には僕以外にもうひとりの新到者として、Iさんが2日目から参加している。Iさんは僕と同じ年くらいの男性で、鼻スピ&ウグイスのコラボ・エピソードは前回紹介したとおり。
I さんの参加はこの日の午前までと張り出された表には記されていた。つまり次の座禅で無事放免ということになる。
ちなみに合宿中、新到者同士であり座禅の位置が隣(末席)、それに加えて作務仲間ということで、Iさんとは親しく話をするようになっていた。
I さんはこの会の参加は初めてとはいえ、曹洞宗のお寺での座禅歴が長いそうで、ずっと椅子禅という僕の体たらくぶりとは対照的にほとんど足を組み替えることなく座禅を組んでいて、実にご立派。しかし今朝の座禅では45分の最後の辺りで、足をもぞもぞと動かすのに隣人として気づいていた。
その I さんが廊下に張り出された日程表をみながら、小さな声で呟くのが聞こえる。
「やっぱり参禅もあるのか……」
その気持ち、本当によくわかる。45分の座禅だけならともかく、その後、会員たちの公案タイムも僕と I さんは座禅を続けることになり、これがめっぽう長く感じられるのだ。
特に I さんはもうすぐ下山ということで、気持ちが下界に向いていたのかもしれない。安定して座禅をこなし、作務も人一倍働いていた I さんでさえ、実はかなりきつい思いでいたことに、その一言で気づかされる。
そりゃあ、僕がしんどいわけだよ。
しかし世の常、どんなにつらくて、どんなに時の流れが遅かろうと、少しずつ着実に時計の針は進み……チーン、午前の座禅が終了。
I さんはすぐに休憩室に入り、体をかがめて荷物をまとめている。後ろ姿からも I さんが喜びに打ち震えているのがわかる……ような気がする。
「I さん、もうちょっと一緒にいましょうよ。寂しいじゃないですか」
冗談で背後からそう声をかけると、I さんは僕を振り返り、それはそれはうれしそうな顔で、ニターッと笑った。単に開放されるのがうれしいという笑みなのか、あるいはここからさらに丸1日残らなければならない僕に対して「ご愁傷様」との慰めも含んでいるのか。玄関を出て車に乗り込む I さんを見送りながら、抑えていた里心が呼び起こされる。
ああ、僕も帰りたい。あと1日は長いなあ。
4泊5日の特別摂心会ではなく、3泊4日の通常の合宿に申し込めばよかった。あるいは、I さんのように2泊程度の部分参加にする手もあったのだ。初参加なのだから無理せず、短期間にすればよかったのに。
この合宿中、何度も繰り返した後悔で心が波打つ。そこで二念を継ぐなって? そりゃないぜ、セニョリータ……。

そして昼食。この日は午後からG老師による特別講演会が予定されている。昼寝をする時間はあったのだが、講演会のため禅堂に聴衆用テーブルや座布団がセッティングされてしまい、寝床が確保できず。
日常的に昼寝の習慣がある僕にとって、2日目以外昼寝ができなかったのはとても残念だった。あの日の午後は昼寝のおかげで充実したんだけどな。あ、でも夜には膝の痛みでパニクったんだった。
さて、その講演会。テーマは「芭蕉と禅」。合宿参加中の会員に加え、俳句に造詣が深いと思われるご老人が数名、聴きにこられていた。皆さん、実に気品があり、立ち居振る舞いが美しい。世の中にはこんな世界もあるんだなあ。
テーマである「芭蕉と禅」にはまったく興味がわかず(元となる教養がない)、昼寝をしそびれたのもあって、うたた寝してしまうことを心配しながら臨んだのだが、これが思いの他おもしろかった。
芭蕉の弟子である、禅僧、内藤丈草の句を(野暮といちいち断りながらも)解析し、芭蕉の句の中に禅の精神を見出していくという内容。最後は「丈草は、芭蕉に対し、俳諧の師として崇敬していたばかりでなく、芭蕉の禅の境涯に接することを通して、禅の師匠としても深く心に刻んでいたのではないか」と結ばれた。
禅、俳句、茶といったものは、文化の中で深く結びつきながら成熟し、継承されてきたのだろう。この辺のところ、日本人として一度勉強しなきゃな、と思う。

午後の作務は講演会で中止のため、少し時間があく。所在なくふらふらしていると、初日に道号を授かっていた女性、Mさんに声をかけられた。年齢は僕とそう変わらないと思われる。以前、日曜座禅会で自己紹介をし合う程度の会話があっただけで、新潟の会員では唯一、ちゃんと話をしたことがない相手だ。お仕事もあるのだろう。この合宿には基本的には「通し」で参加しているはずだが、日によっては不在の時間帯もあったように思える。
「いつの間にかすっかり馴染んでますね」
確かに、自分でもすでに非会員のお客様という感じはまったくしていない。そもそも下っ端役は好きなので、非会員だからと楽をしようとせず、自分から仕事を探して動く様子に気づいていてくれたようだ。
見ている人は見ている。評価されるための行動ではないとはいえ、やはりうれしい。
「それにしても、いきなり摂心会に通しで参加とは。驚きました」
これは合宿中、本当にいろいろな方に言われた。確かにきついし、自分でも無茶な挑戦をした実感はある。
「何日か申し込んでも、途中で帰っちゃう人が多いんですよ。内山さんはこのまま最後までいけそうですね。すごいと思いますよ、本当に」
そうかあ、途中帰宅組も多いのか。根性がない、と笑うことはできない。僕だって何度も帰りたいと思ったどころか、実際に帰ろうとさえもしたのだから。
しかし今や、明日の円了茶礼(閉会式のこと)まで24時間を切っている。期間をまっとうせず帰るつもりはさらさらない。どうでもいいことと思われるかもしれないが、この「途中で帰る人が多い」の一言は、僕の胸にずしんと響いた。
普通の人がなかなかできないことを達成しようとしている。こういうシチュエーションになると、僕は俄然奮い立つタイプなのだ、というのは以前も書いたっけ。さらに今回は、女性から誉め言葉までいただいた。
よし、やるぞ。意気揚々と禅堂へと向かう、と書くと恰好いいが、そもそも夕方の静坐は45分、1回で終了なので気が楽なのだ。

さて、その静坐。直日のT会長は始まるや否や、代理となる方に何か小声で言づけると、早足で退席していった。明日の円了茶礼(終わりの会)とそれに続く懇親会を控え、直日としての仕事がお忙しい様子。
45分の静坐は、まあ、いつもどおり、集中できなかったり雑念が湧いたり数字をカウントし間違えたりしているうちに終了し、鐘の音。前日の夜のアドバイスどおり、体幹のバランスに注意を向け続けているせいか、首、背中はあまり痛まない。しかし、かといって集中力が増したり、禅定が深くなった気はまったくしない。つまり、坐禅の中身で考えれば参加前から進歩なし。
まあ、いいか。とにかく5日間の日程をこなして生還できれば今回は十分だ、と自分を慰めながら階段を降りようとすると、直日代理から「皆さん、ちょっと待って」と声がかかる。
会員たちの会話から類推するに、今回の座禅は時間に余裕があったので、45分ではなく60分で、との指示がT会長からあったらしい。しかしその連絡が直日代理には届いておらず、終了の合図で一同を解散させた後、助警から指摘されたようだ。
というか、そもそも時間を延長するなら最初にひとこと言ってほしい。45分だって限界に近いんだから、何も知らされず15分も延長されたら、こっちはパニクるって。
ここで少し上層部同士で議論があり、「いったん終わらせちゃったし、これでいいんじゃない?」という意見もあったのだが(いけいけ~!)、直日代理は残り15分ぶんをこれからやり直そうと主張し、どうやらそれが通ったようだ(嗚呼っ!)。
これからまた椅子を出すところからやり直し? 気分は完全に休憩&夕食モードになっていたので、とことん気が重い。
しかし、である。その一瞬の後、僕に前向きなアイディアがひらめいた。
たった15分なら、座禅に再挑戦してみよう!
さきほどの女性会員との会話でテンションが上がっていたのも影響したのかもしれない。45分だとプレッシャーがかかるが、15分なら膝が多少痛んだところで、すぐに終了になるはず。2日間の椅子坐で膝の痛みはずいぶん楽になっている。座禅を試すには、まさに絶好のチャンスではないか。
というわけで椅子ではなく、座布団を両手に抱えて禅堂へ。掛け軸への一礼も座布団を叉手で抱えたたまま行う。おおっ、この感じ、余はなつかしいぞよ!
会員の皆さんからアドバイスをうけた通り、座布団を2枚から3枚へと1枚多くし、座る位置を高くしてみた。ちなみにそれぞれの布団を二つ折りにしているので、1枚多いだけでずいぶん高くなる。
実際に座ってみると、さすがにちょっと高すぎるように感じた。そこで今度は一番上の座布団のみ、まっすぐ重ねず、90°角度を回転させてみる。僕の斜め向かいにやたら坐相がかっこいい女性がいるのだが、その人が一番上の座布団を斜めに使っていたのを記憶していたのだ。そうすればお尻の位置は一緒でも、太腿が下がりやすくなるので、理屈としては少しだけ位置が下がった感覚になるはず。
やってみると、悪くない。しかし座布団を高くした分、組んだ時に上になる足の膝が浮いてバランスが悪い。そこでもっていたタオルを畳んで、浮いた膝の下に挟み込む。実際にこのような対策を施している会員は見なかったが、確か以前、ネットで読んだことがあって「枕」というらしい。
ここで開始を告げる鐘、ついで拍子木。合掌して座禅開始だ。
これまた教えてもらったとおり、背骨をひとつひとつ、丁寧に積み上げていった。完全に脱力しても崩れないくらい、しっかりとバランスをとりながら、少しずつ上の背骨に注意を移していく。
最後に頸椎で頭のバランスをとり、終了。次は両腕で、両手で組んだ法界定印が解けないよう、かすかな力を残しただけで、後は完全に脱力。
決まった!
思わずそう声に出したくなるほど、姿勢が安定するのを感じた。腰から頭までが一枚の板のように強固で、崩れる気がまるでしない。
毎回45分かけても中々うまくいかないのに、たった15分で禅定が深まることはどのみちないだろうと判断し、数息観にはあまり重きをおかず、心地よい姿勢を保持することに意識を集中する。
バランスに注意しながら、呼吸はやさしく、ゆっくり……。
あっという間に終了の鐘が鳴った。膝は痛まないし、昨日からの懸案だった首の痛みは治ったかのように楽だ。よし、何か掴んだぞ。少なくともこの合宿で、坐相は格段に上達させることができたようだ。
これだけでも合宿にきた意義はあった、はず。家族や友人に持ち帰る土産話ができたと、とりあえずほっとする。
しかし合宿はまだ18時間残っている。数えてみると、45分の静坐があと7回。今や痛みは癒え、より良い坐相を手に入れた。これだけ好条件が揃っている中、現状で満足するのは早すぎる。
あと18時間の合宿中に、今までに感じたことのない深さの禅定をなんとか体験したい。僕の気持ちは俄然盛り上がるのだった。

夕食後、講本下読み、そして提唱。
この日は初日と同様、総裁老師の出番だ。この方の語り口はほんとうに素晴らしく、プロの講談師顔負けの迫力と間合いなのだが、初日は痛みでしっかり聴くことができなかったため、再度チャンスが訪れたのがうれしい。
テーマは無関門、低前柏樹。
一人の僧が趙州和尚に問う。「如何いかなるか是これ祖師西来意――達磨大師がインドからはるばる中国へ来られた真意とは何か!」
趙州和尚いわく「庭前の柏樹子」、というお話。なぜ達磨大師の本性が単なる庭の木なのかを考えて考え抜く有名な公案で、内容については合宿1日目の記事で解説したので、興味があれば読んでみてほしい。
https://fire-earlyretire.com/blog-entry-1175.html
提唱は圧巻の迫力で、実におもしろかった。そして最後に総裁老師は会員にこう檄を飛ばす。
「この合宿中の参禅ではつまらない答えをもってくる奴が実に多かった。ちょこちょこっと言葉尻だけいじって、それで公案が通るかも、なんて考えてもらっては困る。いいか、自分のもっている俗世の概念を全部覆すんだ。公案の答えも、その前に出したものから180°ひっくり返してもってこい。全部壊さなきゃ、いい物が出てくるはずがないんだから。今夜と明日、あと3回ある。いいか、死に物狂いで取り組めよ」
禅堂に緊張が走る。公案かあ、怖いけどおもしろそうだな。でもこれ、入会しないと参加できないんだよなあ。どうしようかなあ。おもしろそうだけど、でも、やっぱい怖い……(老師ふたりとも)。

提言後の静坐は45分×3回。僕はここで持ってきた痛み止め、ロキソプロフェンを飲もうと思いついた。膝の痛みは予期していなかったので、そのために持参したわけではない。僕の旅行セットには眠剤、胃薬、かゆみ止めなどと一緒にロキソプロフェンが常時入っていて、それを飲めば痛みで禅定が崩れることはないはず、と考えたのだ。
痛み止めで強引に痛みを抑えれば、逆に本格的に痛めてしまうリスクもあったが、多少痛めてでもこの合宿中に何かを掴みたいという情熱が勝った。4泊もして「坐相がよくなっただけ」ではやはり情けない。
もってきたのは2錠。そのうち1錠を内服する。
夜の静坐3回を座禅のまま通すか、あるいは安全のため、2回目に椅子禅を挟むかで少し悩むも、ロキソプロフェン効果もあってか、最初の45分でまったく痛まなかったため、3回とも坐ったまま通そうと決める。
決して眠いわけではなかったが、試しに助警、札幌のMさんから久々の警策をいただいてみた。おおっ、背中に響く。椅子禅だとこれもできないんだよね。座禅が組める喜びをひしひしと噛みしめる。
やはり坐相は大事だな、としみじみ思った。しっかり座れていれば数息観もうまくいきやすいし、座れていなければ気持ちも集中しずらい。
以下は芳賀幸四郎著「禅入門(タチバナ教養文庫)」より。

正しい坐相を身につけることは、なかなか容易ではない。しかし、不自然な歪んだ坐相では、いたずらに疲労が多く長続きしない上に、座禅の目標である禅定三昧に入ることはおぼつかない。まして正悟を開くことはできない。「真正の悟りは、正しい坐相からでないと生まれない」といっても決して過言ではない。

なのに、「中身が大切」とばかりに、坐相を軽視してきたことが悔やまれた。実際のところ、坐相に重きを置かない瞑想本も実に多く存在するのだ。
まあ、その中身もうまくいかないから、この合宿に参加したわけだけれども。

さて、特にここまで書いてこなかったが、夜の座禅は3回で1セットといっても、2回目、3回目の間は単なる休憩ではなく、ふたりの老師を含め全員で真向法体操という柔軟をすることになっている。目的はもちろん、座禅に必要な柔軟性を維持するため。朝のラジオ体操とともに、人間禅の合宿では欠かせない日課のようだ。
この体操の後、参加者はその日最後の静坐(夜の3回目)に入り、その間に老師ふたりは入浴をすませるため、参加者は静坐後、速やかにシャワーを浴びられるというわけだ(ただし女性からなので、中々僕まで順番が回ってこないことは以前書いた)。
この真向法体操終了後、総裁老師が僕に声をかけてきた。
「内山さんはお医者さんだったよね。痛み止めって何がいいのかな?」
「ちょっと強いですが、自分が痛いときはロキソプロフェンを飲みます」
まさか痛み止めで膝痛を抑えているのがばれて、叱られたりしないよね? と不安になりながら答える。
「ロキソプロフェン、ね」
ここで老師は新潟の会員、Hさんに言った。
「おい、道場にロキソプロフェンはあるか?」
「痛み止めですね」とHさん。「塗る湿布薬ならありますが……」
「違うよ、痛いのは歯。だから飲み薬がいるんだ」
総裁老師が相も変わらぬ野太い声で指示すると、本当にヤ〇ザまがいの迫力がある。口調もいわゆる体育会系で、荒々しい。
「この時間では病院は開いてないので、何でしたら深夜までやっている薬局にひとっ走りして買ってきますが」
ええっ、これから薬局を探して買い出し。僕よりひとまわり以上高齢であるはずのHさんの献身的な働きには本当に頭が下がる。
そしてそのとき僕は、自分がもう1錠、ロキソプロフェンをもっていることに気づいていた。これを総裁老師に差し上げれば、万事解決ではないか?
しかし逡巡する気持ちもあった。まず、僕はもう医療行為を行っておらず、自賠責保険からも抜けている。渡した薬で万が一事故がおきれば、無保険の状態で責任を問われることにもなりかねない。ロキソプロフェンは腎障害も起こしうる、それなりに強い薬なのだ。
それに最後の1錠は明日、最終日の座禅前に自分で飲むつもりでいた。最終日、朝食前と後、それぞれ2回ずつの座禅に、僕はすべてを賭ける意気込みでいたのだ。
総裁老師なんだから歯痛ぐらい、神経を集中させて切り抜けられないものか……との無茶苦茶な雑念まで湧いたが、さきほどの提言での、「理屈ではなく『内なる声』をしっかり響かせろ」との総裁老師の言葉が脳裏によみがえった。理屈をこねるのをやめ、いったん身にこびりついた処世術は取っ払おう。
であれば、答えはひとつしかないではないか。
「自家用に1錠もってきております。それでよろしければ差し上げますが……」
総裁老師は「本当?」うれしそうに笑みを浮かべ、会員の皆さんも一様にほっとしたお顔。うん、言ってよかった。何かご利益があるかな……などとはもちろん考えてもいけない。
これで無事、総裁老師はご帰庵。
しかしこの後の最後の座禅では、
「万が一、僕が渡した薬で副作用でも起きたらどうしよう」
という非常に可能性は低いはずの懸念が幾度なく湧きあがってきて、あまり集中することができなかった。疲れているといろいろ考えるよね。夜は気持ちが乱れやすく、少なくとも僕に限っていえば、座禅との相性があまりよくないようだ。
この日もシャワーはあきらめ、ボディ・シートで体を拭いてから布団を出す。
するとそこで、2日目に半ばパニックに陥った僕を気にかけてくれた助警、札幌から来たMさんが声をかけてくれた。
「どうですか、その後。摂心会はけっこうきついでしょ」
ははは、きついのは間違いない。
「札幌の摂心会は7泊8日なんですが、私の経験上、4泊目が一番つらいんです。で、5泊目から急に楽になる。だから4泊5日って、考えようによっては一番過酷なんですよ」
へええ。
後日、新潟のHさんとの会話でこの件が出て、内情を教えてもらったのだが、通常だと摂心会合宿は7泊8日で、年に3回開催されるとのこと。ただし会員が少ない地域の場合、1週間の日程を維持するのが難しいため、3泊4日に短縮され、そのかわり年4回になるそうだ。ただし今回の摂心会は中央から総裁老師を迎える「特別」摂心会のため、1日長い4泊5日になったことは前述したとおり。
僕はMさんに心中を吐露した。
「2日目に膝を痛めて以来ずっと椅子禅だったんですが、今日の夕方から久々に座禅を組めました。それがうれしくて今は気分がハイでして……。そういう意味では、気分の転換が早まって、ぎりぎり間に合ったようです」
「内山さん、さっき座ってましたもんね。坐相、決まってましたよ」
このMさんも県外組にも関わらず、客のような態度はいっさいなしで、新潟の地元会員並みによく働く人だった。座禅の姿だけでなく、食事や提唱を聞くときなどの所作が美しく、合宿中、僕が強く感銘をうけた人のひとりだ。
世の中にはすごい人がたくさんいる。それは学歴が高いとか、収入が多いといった社会的地位とはまったく別次元での「すごい」であり、このような人たちと短期間とはいえ寝食を共にできたことは、摂心会参加から得た大きな収穫といっていいいだろう。

気持ちが高ぶっていたせいか、疲れていたはずなのに、この日はなかなか寝つけなかった。
そして思う。
「明日は下山かあ」


シリーズ1回目からお読みになりたい方はこちらから。
臨済宗の道場での座禅合宿に参加してきた。



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内山 直

作家、医師、医学博士。
1968年新潟県新潟市に生まれる。新潟大学医学部卒業、同大学院修了。
2004年に独立し自分のクリニックを立ち上げ、「行列のできる診療所」として評判を呼ぶが、その後アーリーリタイアメントを決意。
2016年2月、クリニックを後輩医師に譲りFIRE生活を開始する。
地方都市でゆるゆると生息中。

「お金、地位、美貌」で得られる幸福はたったの10%で遺伝が50%とされています。
残りの40%に目を向ければ、幸せはすぐにやってくる!をキャッチフレーズに幸福の啓蒙活動を継続中。

自著の紹介

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