6月11日(日) 5日目、最終日。


4泊5日の座禅合宿もいよいよ最終日。
朝の静坐では膝の痛みが再燃するのが怖く、恐る恐るという感じで座ったが、45分×2回をこなしてもまったく痛まず、胸を撫でおろす。しかしやはり数息観は深まらない。禅定のレベルでいえば、散々迷走したあげく、合宿前の振り出しに戻っただけではないか、と焦る。
朝食前、突然雨が降り出した。この日はたまたま道場がある町内会の清掃行事とぶつかっていたため、それに参加する予定だったのだが、この雨で中止。申し訳ないが、正直にいえばほっとする。かがみっぱなしの作業で膝の痛みをぶり返させたくない。
その日の作務は隠庵廊下の水拭きを命じられた。あっという間に終わったので、自己判断でサッシのレール部分も磨いていく。
そうそう、家のサッシもそろそろきれいにしなきゃいけないんだった。なのに僕はこんなところで何をやっているんだろう、となんとも情けない雑念が込み上げってきて自分でもげんなりする。ここまでの合宿での成果ゼロかよ。
作務中は作業に集中しなければならないとわかってはいるのだが、作務に集中するというのも座禅同様、非常に難しい。これは家に帰ってからも続けよう、と心に留める。

作務後は休憩室で一休み。すると、
「内山さんはどちらに?」との声が聞こえてきた。この野太い声は総裁老師に違いない。
総裁老師が隠庵を出て、下々のいるスペースに来ることは通常はない。休憩室にいた会員一堂に緊張に走ったところに、T会長の返事が聞こえた。「こちらにいらっしゃいます」
そしてなんと総裁老師が直々に休憩室へ登場。
「いやあ、内山さんの薬のお蔭ですっかりよくなった。本当にありがとう」
「そう伺って安心しました」
どういう態度をとっていいのかわからず、とりあえず起立し、合掌しながら答える。こういうときは丁寧すぎるくらいのほうが失敗がないというのも、合宿を通じて学んだ勘所といえる。
「今日の懇親会は酒を飲んでもいいよね」
総裁老師が僕の顔を覗き込むように言う。子供か?
「いや、それは……。飲めばその分腫れるでしょうし、痛みがぶり返す可能性もあります」
しかし老師は笑うだけで、返事をせずに去っていった。
飲む気満々だな……。
それにしてもT会長がとっさに僕に対し、「いらっしゃいます」と尊敬語を使ったのがおかしかった。どうやら僕の地位は単なる新到者から総裁老師を快方に導いた医師へと、一瞬だけ格上げされたようだ。
それにしても、薬を差し上げてよかった。本当に良かった。

そしていよいよ、午前9時半からは合宿で最後の座禅、45分が2回。泣いても笑ってもこれで最後だ。少しでも合宿の成果を出したい、と意気込む。
もちろん椅子禅ではなく座禅。座布団を3枚、特に上の一枚は斜めにおくようにしてから、体はピタリと決まる。ようし、勝負だ。全身全霊を込めて呼吸に集中するぞ、と固く心に決めた。
鐘が鳴り、着席。合掌。さっそく、ひとーつ、ふたーつ、と呼吸をしっかりカウントする。力み過ぎもよくないらしいのだが、そう悠長なことも言っていられない。「意地でも意識をそらさない」との気合で臨む。
それでも逸れる意識。逸れては戻し、また逸れてそっと戻し、を繰りかえす。雑念になんど捉われようとも、自分を責めたりしないことも重要なのだそうだ。きつく責めればその分、意識は乱れる。大事なのは反省ではなく、できるだけ早く、そっと呼吸へと意識を戻すこと。常にそれだけ。自分の意識を暴れ馬に見立て、急に抑え込もうとするのではなく、少しずつ少しずつ、手綱を強めて落ち着かせていくイメージで対処する。
どのくらい時間が経過しただろうか。やがて自分の意識が、道場ではない違う空間にある気がしてきた。僕の脳内にぽっかりと空いたスペースがあるのだ。ちなみに色は薄暗い赤。これはなんだ、と好奇心満々で眺めると、色は灰色に代わり、シュルシュルと縮んでいく。
あらら、ダメだ。新しい景色に興奮し、もっともっとと欲が出て、それが雑念になったのかもしれない。
ここで、すばやく修正。もっと入り込みたいという気持ちを手放し、ふわふわとそこに留まろうとだけ決め、ほあーーんとした意識で呼吸をカウントする。
するとふたたび赤黒い空間がむくむく広がり、やがて青に変わった。両手がしびれ、頭はぼーっと火照る。なんとも不思議な感じで、楽しい。でも、執着してはいけない、と戒めを入れる。
さらに空間は白へと変わり、明るい光に包まれた。なんじゃこれ。気持ちいいな~。僕の頭の中にはこんな場所があったんのだ!
ちなみに、ここではあえて言語化しているが、実際にそう考えたわけではない(考えては雑念になってしまう)。こんな感覚でいたんだな、と理解していただきたい。
このあたりで数を数えるのが辛くなったので、カウントをやめ、ただ呼吸に注意を向けることにした。しっかりと座れているはずだが、両手に力が入らず、法界定印が解けそうになるのを必死でこらえる。多分、この踏ん張りがないと眠りの方向に行ってしまうのだろう。なるほど、法界定印は恰好だけではなく実際的な意義があるようだ。
やがて終了を告げる鐘と版木の音が聞こえた。「5分間の休憩」と直日の声。え、もう45分たったの?
休憩してはいけない、と感じた。この空間から出たらもう一度入り直す自信がない。
とはいえ痺れた足を何とかしたかったし、法界定印もつらかったので、いったん坐を崩し、両膝を胸に引き寄せる「体育座り」の姿勢をとる。額はそっと膝の上に。
体が楽になり、さらに気分がよくなる。ふわふわと雲の上。雑念はほとんど湧いてこないし、たとえ思考の泡のようなものが浮かんできても、二念をつがないのが容易になっていたので、頭はどこまでもクリアだ。
2セット目開始。会員たちは参禅なので、時折、鐘の音が響くがそれさえもあまり気にならない。ぽかぽかと気持ちのいい世界で、ひとり呑気に漂う。
法界定印だけでなく、坐相も崩れそうになるのを予感し、最低限の注意は怠らないようにする。もしこの合宿で坐相を改善していなければ、ここで座れなくなり、後はメタメタになっていたのかもしれない。
坐相って、大事。まじで。
やがて終了を終える鐘の音がした。終わるのが惜しいが、しかたがない。
45分座るのがつらかった僕が、95分間座り続け、それでもまだ座り足りないと思うとは。
達成感が心の奥底からムクムクと湧きあがってきて、「やったー!」と声を上げたい気分だった。

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ちなみに後日調べたところ、座禅中に光を見るのはよくあることだそうだ。この光の解釈は流派によって異なるが、禅宗で基本的に「見てはいけない」とされているとのこと。座禅が間違った方向に向かっている可能性が高く、話せば注意をうけるようだ。
しかし一方、禅宗の高僧の中には「光を見なければ始まらない」と説く人もいて、解釈は様々。まあ、とりあえず、よかったと思うことにしよう。でもこれ、G老師には言わない方がいいんだろうな。「それがどうした!」と一喝されて終わりな気がする。

その後は円了茶礼。いわゆる閉会式にあたる。
開会式にあたる結制茶礼は緊張のあまりわけがわからないまま終わってしまったが、今は冷静だ。
お茶をマナー通り給仕から注いでいただき、合掌。
上座に総裁老師。そこから2列、下座に向かってお互いに向かい合う形で参加者たちが並んでいるのだが、総裁老師のほうを向いてはいけない。あくまでも正面を向く。
しかし菓子を食べ、お茶を飲むペースは総裁老師と合わせなければならないので、視線は横目で総裁老師に向け、気配をうかがう。面倒なだけで、意味がないと思いません? 実をいうと、合宿初日の結制茶礼では僕もそう思った。
しかし多少慣れてからやってみると、この方法だと、全体としてのまとまりが美しいのだと気づく。全体が美しくまとまるからこそ、お互いの内なるものが共鳴し、気持ちが清らかになっていくように、少なくとも僕には感じられた。
儀礼作法にはそれなりの意義もあるに違いない。全部とは言わないけど。

何はともあれ、第1回特別摂心会はこれでめでたく終了となった。

最後に懇親会。これには禅特有の名称はなく、スケジュール表にも普通に「懇親会」と記されている。
料理は今朝までの質素な精進料理から一転して豪華で、エビフライ、コロッケなどの非・精進料理を始め、他県から会員の皆さんが持ち寄った名産品が並ぶ。丸4日間、質素な料理しか食べていなかったので、ごくり唾を飲みそうなものだが、胸がいっぱいでさっぱり食欲がわかなかった。
酒も振舞われ、両老師をはじめ、新幹線・飛行機組は飲み始める。僕は車だからもちろん飲めないが、運転の必要がなかったとしてもアルコールは避けていただろう。この状況で飲んだら、ひっくり返ること間違いなしだ。何杯かノンアルコールビールを注いでもらったが、不思議なもので、それでも少し酔った気分になった。
そういえばこの合宿中、酒を飲みたいとは一度も思わなかった。僕はアルコール依存症とまではいわないが、明らかに予備軍で、基本的には1年365日毎日飲む。4日も飲まなかったのは成人してから(正直にいうと中学を出てから)初めてのはずで、これだけでも僕にとっては大きな出来事といえる。
日常から抜け出し、十分忙しければ、酒なしでどうにでもなるのね。
さて、この懇親会。会員の皆さんはそこまでの優雅な立ち居振る舞いがウソのように、実に陽気に騒いでいた。特に驚いたのは中央から来た僕より若い女性で、僕の見立てでは坐禅姿はピカ一、作務の庭仕事も熱心かつ上手、食事中の作法も実に決まっていた。僕自身は1回、食事でお茶を頂いた後の合掌を忘れ、注意された以外に言葉を交わしてはいないのだが(トホホ……)、この人の厳しくも美しい様子は、人間禅における「禅」のすがすがしさを象徴するように僕には思えていた。
ところが、である。合宿がお開きになった後の懇親会では、この人が実に騒がしい。「宴会部長」とでも呼びたいぐらいの明るいノリで場を盛り上げ、勢いのある合いの手やツッコミが体育会男子顔負けで連発される。
なんだ、全然、俗じゃん!
合宿中、尊敬の目で見ていたT会長も、札幌から来たMさんも、まるっきり普通のおっさんだ。Mさんにいたっては席が女性の隣になり、明らかに鼻の下を伸ばしている。そこにはもはや特別なオーラもない。
意外と皆、地は普通なのかな。
会員の皆さんが立派にみえたのは、単に合宿の荘厳な雰囲気に後押しされたからだったのかも。そんなふうに考えながら宴会が盛り上がるのを眺めていたのだが、途中ではたと気づいた。
違う。何も変わっていない。皆は相変わらず、大真面目に取り組んでいるのだ、と。
真面目に座禅し、真面目に作務をし、真面目にラジオ体操をする。お開きとなって宴会となれば、大真面目に構えを解き、隙を前面に押し出し、楽しみ、率先して場を盛り上げる。酔いに任せて禅談義を始め、場を盛り下げるようなことは決してしない。
老師だってそうだ。考えてみればG老師など、昼から飲むのが好きなタイプにはとても思えない。しかし自分が飲まなければ会員たちは飲めない、だからしかたなく飲んでいる面もあるのではなかろうか?
総裁老師だって……。いや、この人は本当によくわからない。傑出した人物がすべて踏まえた上で器用に振舞っているようにもみえるが、「単に体育会系で大声のオヤジ」と考えれば、それはそれで矛盾がない気もしてしまうのだ。まあ、凡夫にはわからない世界だろう。
話を戻すが、そんな感じで参加者は、飲んでいる飲んでいないの分け隔てなく、皆、大いに盛り上がり、楽しんでいるように見受けられた。
「僕は馬鹿騒ぎが苦手だから、スミのほうでしっぽり飲んでるね」
なんて態度ではイケナイ。だって、美しくないもの。

その後、新到者として一番手でスピーチをするよう促される。僕の解釈が正しければ、ここで照れたり、遠慮したりしてはならず、図々しいくらいでちょうどいい……はずだ。僕は勢いよく立ち上がると、まったく飲んでいないにもかかわらず、いい加減酔っ払ったかのような勢いでスピーチを務めた。大真面目で宴会の歯車に徹すれば(→あれ、自我捨ててる?)、なるほど全然緊張しないし気分も爽快だ(→いや、捨ててないw)。
チラシの「気軽にご参加ください」にだまされてノコノコやってきたこと(今回もこの部分はウケた)。最初は緊張の連続だったこと。膝を痛めてからは何度も帰ろうと思ったこと。しかし両老師、および会員の皆さんから助言を頂き、最後には今まで経験がないほど数息観が深まったこと。
ここで総裁老師からツッコミが入る。「『すうそくかん』じゃない、『すそくかん』って読むんだよ!」
そうなんだ、知らなかった。またひとつ学ぶと同時に、すでに僕の地位は主治医から一新到者に戻っていることを知った。
でも、このほうがいい。非会員としてお客様扱いをされるより、他の会員同様、𠮟りつけてもらったほうがよほど居心地がいい。一瞬「やっちゃった」と反省し、次の瞬間には「二念を継がず」で、その気持ちを葬り去る、そういう人に、私はナリタイのだ。

次は直日として、T会長から挨拶。
「皆さんのご協力のおかげで、庭もすっかりきれいなりました。我々も皆様をお迎えするにあたり、少しでも整理しておこうとがんばってはいたのですが、なかなか十分な時間がとれず……」
そこで総裁老師の叱咤が響いた。「馬鹿もん、言い訳するな。台無しじゃねえか!」
いやはや、なんともご無体な、とそのときは思ったが、今となればなんとなくわかる。T会長の言い訳には確かに「状況を理解してほしい」という自我が少しだけ見受けられた……気がする。
総裁老師はそこを敏感に感じ取ったようにみえたし、逆にいえば、それだけ次世代のリーダーのひとりとして、T会長に期待しているのだろう。
もちろんT会長はいつものように一瞬で叱咤を受け流し、淡々と挨拶を続けたのであった。さすが!

散会時には総裁老師から握手を求められた。体育系らしい、実にかたい握手。
僕の目をしっかりと見据えた上で、「入会するにせよしないにせよ、一生座禅は続けなさいよ」とのお言葉を頂く。
もちろん、そのつもりだ。

こうして僕の4泊5日の座禅合宿は終わった。
ちなみに費用は参加費、宿泊、食事、茶会、休憩時のお菓子、最後の懇親会を全部あわせて、5日間で計7,500円也。内容の充実度から考えれば格安だと思うのだが、参加者の中では僕が一番高額だったようで(会員として普段の会費を払っていない分、割高になったようだ)、会計担当のNさんは「変だなあ、変だなあ」と何度も計算し直し、こちらが申し訳なくなるほど恐縮されていた。

さて、この合宿。終わってみれば幸運の連続だったといえる。通常の3泊4日ではなく4泊5日の「特別」摂心会を選んだことにより、慣れない儀礼に多く参加しなければならず、合宿中は幾度となく後悔の念が込み上げたのだが、終わってみればこの選択が幸いした。
僕が充実した座禅生活を送れたのは、最後の1日だけだったのだ。3泊4日ではつらい思いだけして下山するはめになったはずだし、もちろん、ここまでの経験値は得られなかっただろう。
4日目、直日代理まで時間変更の連絡が届かなかったのもありがたかった。結果、15分という非常に短い静坐タイムが生まれ、再度、座禅に挑戦しようと決心することができた。
まさかこれも仏様の思し召し、なんてことはないだろうが、いろいろ、とにかくありがたい。
車に乗りこみ、下山。体はふわふわしていて何ら現実感がない。事故らないようにゆっくりと運転し、自分が住むマンションへと向かった。

その後の話は明日のシリーズ最終回で。


シリーズ1回目からお読みになりたい方はこちらから。
臨済宗の道場での座禅合宿に参加してきた。



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内山 直

作家、医師、医学博士。
1968年新潟県新潟市に生まれる。新潟大学医学部卒業、同大学院修了。
2004年に独立し自分のクリニックを立ち上げ、「行列のできる診療所」として評判を呼ぶが、その後アーリーリタイアメントを決意。
2016年2月、クリニックを後輩医師に譲りFIRE生活を開始する。
地方都市でゆるゆると生息中。

「お金、地位、美貌」で得られる幸福はたったの10%で遺伝が50%とされています。
残りの40%に目を向ければ、幸せはすぐにやってくる!をキャッチフレーズに幸福の啓蒙活動を継続中。

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