4泊5日の座禅合宿を終え、その後……。


さて、4泊5日の厳しい合宿が終了し、久々に我が家に帰った。
まずは風呂だ。道場にいる間は気にならなかったが、下界に戻ると、とたんに自分の匂いが気になる。最後にシャワーを浴びてから丸2日。その間にかいた汗の量を考えると、相当にアレな状況だ。
湯が溜まるまでの間、妻に合宿の顛末を話す。話したいことが多すぎて、僕にしては珍しく話が止まらない。あまりその手の話に興味がない妻は明らかに面倒くさそう。
面白い話だと思うんだけどな。

その後、風呂に浸かるが、ふうう生き返ったとはならず、どうにも気持ちが落ち着かない。どうやら合宿、あるいは最後の座禅で得た感動が収まらずテンションが高いままのようだ。
さっさと風呂から出ると、ずっと飲みたかったカプチーノを注ぐ。僕の日常では朝は2杯のカプチーノで始まるのだが、合宿中はもちろんお預けだった。
うまい。でも意外と感動はない。
しかしその夜、4日ぶりに飲んだビールのおいしいことと言ったら、とでも書きたいところだが、どういうわけか久々のビールは記憶とは少し違う味がした。食事はステーキ。ずっと精進料理だろうから、久しぶりの肉が食べたいと合宿に向かう前に妻にリクエストしておいたのだが、これもまた「たまらなくおいしい」というほどではない。
逆に肉やビールなしでも、人生、いけちゃうんじゃない? と思えてくる。

ちなみに体重は1kg増えていた。粗食とはいえ精進料理は炭水化物が中心で、低タンパクながらカロリーはそこそこ。急いで食べなければいけないのもダイエット的にはよろしくなかったに違いない。それに加え毎日2回、作務後のお菓子タイム。僕は家でもあまり食べないし、常日頃から高タンパク低カロリーを心掛けているので、合宿の食事ではかえって太ってしまうようだ。
消費カロリーの問題もある。屋外での作務は体勢としてはきつくはあるが、運動量に換算すればたいした負荷ではない。家にいれば毎日、30分の筋トレと小1時間のジョギングは欠かさないので、合宿中の運動不足も太った理由のひとつだろう。
あ、それに合宿中は緊張で1回しか排便がなかったんだった。
しかしそういえば合宿中、いわゆる「大」用の個室に人が入っているのに、1回しか気づかなかった。特に地元の会員は、自分の修行の他に雑用も多く、用を足す暇さえとりにくかったのではないだろうか?
シャワーも「大」もなし? うん、そりゃ、間違いなく過酷だ。
それにしても禅の合宿で太る人って、世間にはどのくらいいるんだろう?

僕は以前から瞑想に興味があり、自分で本などから学び実践していたが、今回の合宿で実践したのは「瞑想」というより、やはり「座禅」であり、それなりの宗教色もあった。
そこで禅宗、中でも人間禅が属する「臨済宗」について少し触れたい。
臨済宗が日本で主に生き残っているもうひとつの禅宗、曹洞宗と大きく違うのは、「公案」を取り入れている点にある。曹洞宗の方は只管打座(しかんだざ)、ただひたすら座るという教えだ。
公案については合宿中の記事で2回にわたり書いたので、これ以上解説はしないが、僕が想像していたよりはるかに優れたシステムであるように感じた。
一見無理難題と思われる設問に何年もかけて取り組むことによって、鎧のように纏わりついた常識や固定観念を力づくでひっぺがし、最終的には自らの内側に元来備わっていた「仏性」を掘り起こす。なるほど、目的と道筋を論理的に考えれば、理にかなっている手段に思える。
そしてこのシステム、実は中心となる老師たちにとっても負担が大きいことに留意したい。
もし僕が私利私欲のために宗教を統括する側だったら、公案は即廃止だ。会員を入れるだけ集めてありがたい話のひとつでも披露し、後は「只管打座!」と命じて放っておけば、コスパのいい布教ができる。
一方で公案は、講演ではなく「個人授業」だ。参加者ひとりひとりと老師自らが向き合い、正しい方向に導く責任がある。出来の悪い弟子でもいれば、さぞかし頭が痛いことだろう。
さらに、これも何度か書いたように、作務でも老師たちは率先して働く。指導する側がこれだけ忙しい宗教というのも珍しいのではないか。
権力が指導者側に集中している以上、教えは指導者側に有利なほうに傾きやすい。にも関わらず長年にわたり公案のシステムが維持されているところをみると、よほど優れたやり方であるに違いない、と思えてくるのだ。

つぎに「老師」について。人間禅は在家宗教とは聞いていたが、老師は完全に別格の扱いのため、最初は老師だけは出家僧で、寺にお住まいなのではと勘違いしていた。しかし人間禅HPをみる限り、老師の皆さんも元々は在家の一般会員で、後々、特に秀でたものが老師格として認証をうけるらしい(師家分上という)。
たとえば、G老師。HPには、

1948年 神奈川県生まれ。
1973年 北海道大学理学部数学科卒業。22年間 北海道の高等学校教員(数学)として勤務。
2003年 早稲田大学大学院社会科学研究科修士課程卒業。
2013年 博士(学術)取得。専門は日本近代史、在家禅の研究。

とある。
合宿中かG老師からは理知的な印象を受けていたのだが、なるほど、高校の数学の先生だったようだ。

一方、総裁老師は自ら建設会社を設立し、常務取締役。宏道会長野拓郎師範(寶鏡庵長野善光老師)より小野派一刀流免許皆伝を允許、師範に就任、とある。
生粋の体育会系で、これも僕の勘で合っていたことになる。
となると新潟のT会長もいずれ、老師と呼ばれるようになるのかもしれない。

僕自身、瞑想に興味を持ち続けてきたのと同様に、臨済宗、公案、人間禅のいずれもにも強い関心がある。特にG老師から言われた「在家でも3年精進すれば悟れる」という言葉は、その後も何度も思い起こされることとなった。
では僕が人間禅に入会するかというと、今のところ判断は保留のままだ。
僕が入会を躊躇する主な理由は3つ。
まず、僕は組織というものが苦手だ。ひどい圧迫感を覚え、逃げ出したくなってしまう。
だから医者としても医局員である期間は短かったし、医師会活動にもほとんど参加せずに逃げ回っていた。自分のクリニックがあることさえ負担で、解散したときは本当にすがすがしい気持ちになったものだ。家庭でも断捨離を進めている最中で、「身ひとつで生きる」は僕の人生の通奏低音となりつつある。
せっかく念願叶ってFIREしたのに、今更組織に、しかもかなり拘束が強そうな組織に入るのはどうにも躊躇してしまう。
ふたつめは「入るなら一生続ける覚悟で」とG老師に念を押されたこと。
組織加入同様、僕は「一生続ける」という文言が苦手だ。なんといったって、苦労して医学部の受験勉強をし、途中1年間の海外放浪を含め7年もかけて卒業し、その後も4年を費やして学位までとった医師としての道を、20年ちょっとで捨て、FIREしてしまったという経歴の持ち主なのだ。
自分の人生に対して、常にフリーハンドでありたい。いくら素晴らしいものと説得されても、「一生続けるのが条件」はあまりにもハードルが高い。
みっつめは妻の反対。妻は僕がFIREしたとき、まったく反対することなく賛成してくれたが、それには僕が「家族との時間を充実させたい」ことを理由のひとつとして挙げた点も大きい。なのに年に何日も家を空けて修行に興じるのでは、約束が違う、というわけだ。実際、僕が合宿でいなかった5日間はあまり調子がよくなかったらしい。
しかし、である。再三書いてきた通り、僕は我々凡夫には確固たる自我はないと考えており、こういう時に挙げられるもっともらしい理由は、ほとんどが「作話」だと思っている。
分離脳での実験で僕らの「作話癖」は白日の下にさらされる
だから自分が考えついた「入会しない理由」も、自分自身で話半分に聞いている。
どうやら僕の脳のゆらぎが、軽い拒絶反応を起こしているらしい、とわかるのはそこまでだ。
今後も人間禅開催の土曜座禅会、日曜座禅会、あるいはHさんが世話役になっている近所の公民館での座禅会などにできるだけ参加しながら、入会の是非を考えていきたい。

ちなみに摂心会終了から2週間以上たったが、人間禅側からは特に連絡はない。一部宗教のように、「なんとか説得、場合によっては洗脳してでも会員に引っ張り込む」というようなことは、一切ないと考えてよさそうだ。
逆に、「一生かけて修行すると誓うなら入会させてやってもいい」というスタンスなので、「宗教って洗脳されそうで怖い」といった警戒は、人間禅に対しては不要だろう。入会の義務どころか、切望しない限り入会するチャンスがないということになる。
ちなみにこちらからは一度、摂心会終了からちょうど2週間後にあたる、今週日曜日の座禅会に参加させていただいた。座禅後の雑談の中でT会長が、
「摂心会の案内に『初めての方はお気軽に』って入れるの、止めた方がいいかなあ」
と笑っていらっしゃった。
僕の冗談も、多少度が過ぎたのかもしれない。

ではここで、(人間禅に限ったものではなく)瞑想系の合宿に興味がある人へ、僕からの3つのアドバイス。
まずは坐り方、すなわち坐相を軽視しないでほしい。確かに肝心なのは最終的には中身、すなわち心の集中や雑念の排除だが、それを得るためには安定した姿勢が不可欠だ。これに関しては熟練した人からアドバイスを受けられる機会を探すことをすすめる。
中身のほうは目で見えない以上、指導を受けるのは難しいが、坐相は人から見てもらったほうがはるかに改善しやすい。一度しっかりと基本を身につけてから、時間をかけて少しずつ微調整していけば、自分にとって理想的な座り方がみえてくるだろう。
そして合宿前には、長めに座って膝を慣らしてほしい。僕は10日間、毎日1時間半座って自分なりに準備をしたつもりだったが、ここまで書いてきたように、それではまったく足りなかった。
僕の感覚では毎日どのくらい座るかより、坐禅を継続した期間が重要な気がした。最低でも2~3カ月かけて、長い座禅に耐えられる下半身の柔軟性を確保してから合宿へ臨んでほしい。
膝の痛みは本当につらかった。総裁老師ですら歯痛がつらいというのだから、膝の痛みに悲鳴を上げながら禅定を得るのは、僕ら初心者にはまず無理と考えていいだろう。
最後に合宿の期間。どの合宿も最初の数日間は辛いと思う。それがいつから楽になり心身ともに充実してくるかは人によって違うだろうが、僕の場合はほぼ丸3日かかったし、一昨日の記事でも紹介した通り、札幌のMさんに言わせると4日はみたほうがいいとのこと。
であれば最低でも4泊5日、できれば1週間程度はあったほうがいいように思える。短い合宿のほうが一見楽そうにみえるが、つらい思いだけして終了になる可能性がかなり高い(それはそれでいい経験にはなるだろうが、お薦めはしない)。

合宿が終わって2週間たつが、僕はそこでのスタイルがいたく気に入って、いまでもプチ合宿のつもりで生活している。
朝は5時半までに起床。6時までに台所や居間の、掃除が行き届いていないところを清掃。家族が起きてきたときには、部屋がホテルのように整った状態になっているよう心掛けている。
6時過ぎから45分間坐禅を組み、7時に家族を起こす。
新聞を読みながらカプチーノを楽しみ、7時半過ぎにはブログ執筆や興味のある分野の勉強を開始する。その後、9時半から20分間程度の短い座禅を組み、10時頃から作務と称して主にガラス拭き、サッシの掃除やベランダの水拭き、さらに11時に筋トレを開始。
筋トレは部屋で体幹トレーニングの他、ダンベルなどでできる範囲の簡単なものなので、30分ちょっとで終わり、これで午前の活動は終了。
正午前後に妻と軽い昼食を食べ、僕は20分間昼寝。
昼寝から起きた後はぼーっとしているので、あまり肩の凝らない本をぱらぱらとめくり、2時過ぎから午後の作務。
3時に作務後のお茶とお菓子を楽しみ(合宿でおぼえた悪習)、3時半、遅くとも4時には座禅開始。これも朝同様45分間。
その後、夕方にジョギングするのは合宿前と同様だが、最近はそれを「瞑想的」に行うようにしている。雑念を排除し、走るリズムに集中するのだ。これもそう簡単にうまくいくものではないが、毎日行うことにより、座禅中のみならず日常生活の最中でも雑念を排し、すっきり生活できるようになるのでは、と期待している。
その後の入浴で1日のアクティビティは終了。夕食とともに酒を嗜み、その後は本を読むか、妻とネット配信ドラマを見るかして、午後10時には開枕、でなく就寝。
朝は大好きなカプチーノを飲むし、毎日シャワーも浴びるし(ハハハ)、夜は酒と、「煩悩を満たす娯楽も楽しみながら」ということではあるが、それなりにストイックなプチ禅・生活に仕上がっていると思う。
1日に3回の座禅で禅定を得、できるだけその状態を1日を通して保つよう努める。
FIREしてもこうやって過ごすと1日はあっという間で、暇と感じる余地など微塵もない。

肝心の座禅の中身はというと、以前よりは深い禅定をほぼコンスタントに得られるようになってきた。眠くなったり、坐相が定まらなかったりしてうまくいかないこともなくはないが(あの時、完璧に思えた坐相はどこへ行ったのだろう?)、大体は45分間、しっかり坐れている……つもり。
例の「光」はその後、数回現れたが、合宿のときと比べるとやや迫力に欠けている。
しかしほぼ毎回、坐禅を組むたびに、今自分が住んでいる世界とは別の、もっと平和な場所がどうやら僕の頭の中にあるようだ、と感じるようにはなってきた。
日常で見ているの世界は、様々な経験や感情によってできあがった「自己」という名のフィルターを通した、歪みきった代物に過ぎない。僕らは妄想を続け、常に「自分」を錯覚として感知し続けることにより、あたかもしっかりとした「自己」があるかのように思い込んでしまっている。1日3回の坐禅でその殻をほんの少しずつ打ち破ることにより、「修飾をされていない本当の現実」がみえるようになり、日常の不安、怒りといった元来は無用な感情も、日に日に弱まってきている……ような、そうでもないような。
まあ、まだまだこれから、なんだろうな。

人に自由意志などない。確固たる自我もない。
その境地を知り、落とし込み、突き抜けた先に涅槃があるというのなら、なんとしてでも生きている間に、その片鱗だけでも窺い知りたいものである。
というわけで、今後も精進・精進なのである、忍っ!

この座禅合宿シリーズ、全編合わせて原稿用紙換算で200枚近くと、(当ブログにしては)異例の長さになった。最後まで付き合ってくれた皆様に多謝、合掌。


シリーズ1回目からお読みになりたい方はこちらから。
臨済宗の道場での座禅合宿に参加してきた。


ご連絡;
記事の舞台となった新潟座禅道場(秋葉禅道場)にて、7月22日(土) 午後1時から4時半まで、初心者を対象としたG老師による座禅会が行われる。座禅は15分~20分程度のものを繰り返すそうなので、こちらは本当に「気軽に参加」して大丈夫なはず(保証はしないが)。
新潟市および近辺にお住まいで、かつ座禅に興味があるようなら、ふるってご参加頂きたい。
ちなみに希望者は一泊することもできる。なかなか興味深い経験ができること請け合いだが、シャワーは期待しないように、とだけ忠告しておく。

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僕? もちろん行きたいのだが、息子の佐渡島でのヨットレースと日程が重なってしまっているため、どうしたものか、現在、妻と協議中。……忍っ。
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内山 直

作家、医師、医学博士。
1968年新潟県新潟市に生まれる。新潟大学医学部卒業、同大学院修了。
2004年に独立し自分のクリニックを立ち上げ、「行列のできる診療所」として評判を呼ぶが、その後アーリーリタイアメントを決意。
2016年2月、クリニックを後輩医師に譲りFIRE生活を開始する。
地方都市でゆるゆると生息中。

「お金、地位、美貌」で得られる幸福はたったの10%で遺伝が50%とされています。
残りの40%に目を向ければ、幸せはすぐにやってくる!をキャッチフレーズに幸福の啓蒙活動を継続中。

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