東京行方不明失敗
久しぶりに「たう」が出た。もう「たう」のことなど忘れていたのに。ある撮影中のことだ。時間が押し、疲れ、いろいろてんぱっていたときに私はうっかりスタッフにこんな指示をだしたのだ。
「カメラのフレームに『たう』位置に小道具持って来て」
届く、という意味だった。地元の方言である。何十年もそんな言葉使ってなかったのに。
(中略)
九州から東京に出て来たとき、いろんなものを捨て去った。それまで書き溜めていた絵、膨大な量の漫画や本のコレクション、子供の頃の写真。大学で演劇を一緒にやっていた数人の仲間以外、あらゆる友達との連絡も絶った。田舎にいた証拠の隠滅、くらいの勢いだった。
とにかくいたたまれない。
思春期から青年期にかけて私は、そんな気持ちで地元で暮らしていた。学校を出たら、なんでもいいから東京に出たかった。東京は、地元でいたたまれなくなった人間が暮らすのに都合のいい町だ。そんなイメージがあった。
(中略)
しかし、九州に彼女がいては、九州に尻尾を握られたままになる。彼女は献身的に上京して会いに来てくれたが、その感謝の気持ちは、もう就職した会社からドロップアウトしそうになっていた私にとって、「そうまでして東京に出てこられても責任がとれない」というプレッシャーに変わっていったのだ。
「別れよう。俺、もしかしたら浮浪者になるかもしれん。出て来られても相手ができん」
東京の汚いアパートで彼女に別れを告げた。彼女は一晩泣きあかし、何とか納得して地元に帰った。つらかったが、どうしようもなかった。
しばらくして、私は会社を辞め、プータローになった。最低レベルの暮らしぶりだったが気が楽だった。私は、こうして正式に行方不明になれたのだと思った。
ある日の夜、上京するとき彼女がプレゼントしてくれた枕の底がゴワゴワしていることに気がついた。手で探ると、枕カバーの裏に封筒が入っていた。そこには、「困ったときに足しにして」という手紙と、一万円札が入っていた。東京に来て一年がたとうとしていた。
私は、嗚咽が止まらなかった。その一万円に気づかず、その枕で他の女と寝ていた自分が恥ずかしくてならなかった。
(中略)
九州から逃げ切りたかったが、そこには「たわなかった」。もう、それでいい。
人生って、なんなんだ。
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内山 直
作家、医師、医学博士。
1968年新潟県新潟市に生まれる。新潟大学医学部卒業、同大学院修了。
2004年に独立し自分のクリニックを立ち上げ、「行列のできる診療所」として評判を呼ぶが、その後アーリーリタイアメントを決意。
2016年2月、クリニックを後輩医師に譲りFIRE生活を開始する。
地方都市でゆるゆると生息中。
「お金、地位、美貌」で得られる幸福はたったの10%で遺伝が50%とされています。
残りの40%に目を向ければ、幸せはすぐにやってくる!をキャッチフレーズに幸福の啓蒙活動を継続中。