現在55歳。
アーリーリタイアして7年たつが、今でも繰り返し見る悪夢がふたつある。
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ひとつは高校生に戻るというもの。ただし、なぜか年齢は今のまま。
学校に行きたくないなあ、でも出席日数足りるかなあ、まずいなあ、とウダウダ思い悩むという、なんともしまりのない夢だ。
実は高校時代、僕はけっこう学校をさぼった。
不良だったわけではない。授業をうけるよりも、家で勉強をしたほうが効率がいいように思えたのだ。
答えは全部、教科書やサブテキストに書いてあるのに、わざわざ学校に行って教師のペースにあわせて学習するのが、どうにも性に合わなかった。
親も、僕が部屋で勉強をしたいだけだとわかっていたので、あまりうるさく言うこともなかったし、自由な校風の高校だったので、なんのお咎めもなかった。
ただし、もちろん学科ごとに規定された、最低出席日数はクリアしなければならない。
うっかりするとどれかが足りなくなるかもしれないと心配し、計算をしながらさぼっていたから、その頃の後ろめたい記憶が大学受験のプレッシャーと一緒になって、脳の奥深くにひそんでいるのだろう。
大学受験は、本当に大変だった。
僕は決してIQが高いタイプではないので、医学部に合格できたのはちょっとした奇跡かもしれない(その分、入学後は優秀な同級生たちに囲まれ、苦労することになる)。
もうひとつの悪夢は、医局に戻るというもの。
今はずいぶん変わったが、僕が医者になったころは、卒業後、まずは大学病院で希望する診療科の「医局」に入局するというシステムだった。
医局によってルールは違うが「最低7~8年はいなければならない」「専門医試験に通らなければ辞めてはならない」といった、ヤクザの足抜けを思わせるような不文律がまかり通っていた。
医局という縦社会がそもそも苦手だったし、研究や学会発表に追われるストレスも大きかったので、僕は猛スピードで学位(博士号)、専門医資格を取得し、7年で医局を去ったのだが、その直前に幼稚な権力闘争に巻き込まれたのが原因で、半ばケンカ別れのような辞め方になってしまった。
(皆さんにも容易に想像がつくだろうが、高IQ社会にはあきれるほど幼稚な人間も多い)
とはいえ当時から権威には何の興味もなかったので、まあ、いいや、一匹狼でやってやる、と気楽にかまえることにした。僕にとっては、医局という後ろ盾を失うよりも、自由のほうがはるかに大切だった。
当時の医局員は、とにかく労働時間が長かった。
夜9時前に帰ることが許されるのは、幼い子供がいて帰らざるをえない女医さんくらい。大体10時か11時くらいまで仕事をすることが多かったと思う。
土曜、日曜も半日とはいえ、仕事があった。
論文を書くのは好きだったが、僕に研究センスがあるとは思えなかったし、動物実験や、放射性物質を使う実験には、最後まで慣れることがなかった。
夢の中で、僕は医局員になっている。同時に、開業医もしている。
開業はしたものの、早く医局を辞め過ぎたぺナルティーとして、週に何回かは大学病院で働かされているようだ。
検討会では新人たちと並んでプレゼンをさせられる。先輩医師たちがぶつけてくる、意地悪な質問。
なんと答えたらいいのか、さっぱりわからない・・・。
夜中、汗だくで目を覚まして、気づく。
僕はもう医局を辞めているのだ。
それどころか、すでにアーリーリタイアしていて、開業医の職すら辞しているではないか!
なんとも言えない幸福感に包まれる。
そういう意味では、悪夢もたまには悪くないのかもしれない。
アーリーリタイア直後の解放感を、擬似的にではあるが繰り返し味わえるのだから。
それにしても、僕はいつまでこれらの夢を見続けるのだろう?
大学受験、そして若き医師時代の大学病院勤務は、僕にとってそれほど苛酷な経験だったようだ。二度としたくはないし、我ながらよく切り抜けたものだと思う。
時々忘れたくなる、でも、おそらくは忘れてはならない、僕の人生の1ページだ。
アーリーリタイアして、本まで出して、いいご身分だねえとヤッカマレルこともたまにある。
もちろんにこやかに対応するが、虫の居所が悪い時など、心の中でこう呟くこともある。
これまでの人生で、僕がどれだけの努力を重ねてきたと思っているんですか? と。
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これがどうなるかというと。。。

キムチ