酒量について ~ 伊集院静の研究 1


小説「海峡」「受け月」「機関車先生」やエッセー「大人の流儀」シリーズで知られる作家の伊集院静(いじゅういん・しずか)氏が11月24日、肝内胆管癌で亡くなった。
僕は伊集院氏の作品が好きで、特に氏がまだ「ヤンチャ」だった頃、週刊文春で連載していた「二日酔い主義」の大ファンだった。僕自身、もちろん伊集院氏ほど破天荒ではなかったものの、周囲との折り合いがつかず、酒に逃げることも多い時期だったので、共感し、ときには大いに励まされながら読ませていただいた。
(なんだ、僕よりもっとひどいのもいるじゃないか)
と肩を撫でおろす日もあった(なんとも失礼な話)。
伊集院氏のエッセイといえば、国民的ベストセラーとなった「大人の流儀」シリーズが有名だが、その前の「とがっていた」伊集院氏を知ってもらいたいと思い、自分なりにまとめてみることにした。
題して「伊集院静の研究」。
ちなみにこの連載は1988年から2000年まで、2度の休載を挟みながら13年間続いた。伊集院氏の年齢でいうと、40歳手前からちょうど50歳までということになる。
いつもなら出典元とページ数を記載の上、リンクを貼って紹介するのだが、すでに絶版になっているため、その辺は適当にやらせていただく。

さっそく1回目。今回は伊集院氏に数々の「二日酔い」をもたらした、酒量についてまとめてみた。

1989年

日曜日に、上京して来た競輪選手と朝まで飲んだのがいけなかった。月曜の昼間がひどい二日酔いで、その夜ちょっと酒場に顔を出したら久しぶりの友人に逢い、また深夜まで。
火曜、水曜はなぜあんなに飲んだのか思い出せない。木曜は最近始めた指圧の効果をためすのに長友氏と酒場に行ったのが間違いだった。
(中略)
「そんな生活をしていると今にドンと来ますよ。1週間に1日、休飲日を取るようにして下さい」
G医大のS先生が、2月に緊急入院した時、あきれ顔で言われた表情が浮かぶ。
考えてみると今年酒を抜いたのは、あの1週間の入院中の3日間だけだった。残りの4日間は宵の口になると外出届を出して酒場にいた。やはりちょっとおかしいのだろうか。

とまあ40歳手前、まだ直木賞をとっていない頃の伊集院氏は、酒浸りの日々を送っていたようだ。

1996年に書かれた回顧。鎌倉にある寿司屋の大将との話だから、伊集院氏は30歳前後だったはず。

あの頃の私とおやじさんの酒量はたいしたものだった。宵の口から飲みはじめるとすぐにビールが30本近く空になったしウィスキーのボトルを注文しても30分もすれば、もう1本と声を出していた。喉が渇くからウィスキーを飲んでいるという感じだった。

1993年 二日酔いで酒場へ行く。

――氷だけくれないかな。
と口にしようとしたら、もう目の前にビールが出ている。
グラスもふたつあって、とくとくと音を立てている。
――これを飲んだら、きっと私は倒れるぞ。いや、倒れる前に胃の中のものを皆吐いてしまうな。
「イーさん、乾杯」
笑っているままの顔に、私のゲロがかかった数秒後の姿が重なる。
飲んではイケナイ、と思うのに、右手がいつの間にかグラスを持ち上げ、口が勝手にあんぐり開いて、腹の中にビールが流れ込む。
頭の隅の方で、
「いらっしゃ~~い」
と声がする。
それから小一時間、ビールをウィスキーに替え、ウィスキーを焼酎に替え、焼酎をウォッカに替えた時分には、身体もしゃんとして、
「ちょっと今、他のお客さんの注文やってますから」
と言うバーテンダーの腕にしがみついて、
「冷たいじゃないの、飲みが足んないんじゃないの、このタコが」
とほとんど変態になっている。

また、違う雑誌でのエッセイだが、

20代の時は小一時間で2升の酒を腹に流し込んでから、酒場へ行っても平気だった。

とも書いている。
なんとも見事な飲みっぷりである。
僕も全盛期は一晩で1升半ほど飲めた(もちろんひどく乱れるし、翌日はひどいことになるのだが)。
今はその頃の半分も飲めないので、どうやったらそんなに飲めたのか、不思議な気持ちになる。
しかし酒量が落ちるのは鉄人・伊集院静も同様だったようだ。

1995年(45歳)

話を戻すと、ともかく少量の酒で酔っ払ってしまうようになったわけです。
おまけに時間の観念がなくなっちまったらしい。二日酔いでMママに電話する。
「昨夜何時まで飲んでたかな」
「5時よ、5時に店を出たの」
「どうして早く帰れって言ってくれなかったのかね?」
「何言ってんのよ。表へ出た時に、まだ夕方じゃないかって言ったのはそっちでしょうが……」
――失礼しました。
その上二日酔いがひどい状態になっている。一日倒れたままである。朝方家に戻って床で寝るケースがほとんどで、そこでそのまま夕刻までふやけている。


1999年

身体の無茶には注意をしている。この頃は朝の10時近くに次の酒場を探すことがなくなったし、ウィスキーの壜のラッパ飲みも禁じている。言いつけを守っているのではなく、もうそんな体力はないのだ。


飲めなくなったと嘆いてはいても、やはりスケールが違う(笑)。
ちなみに伊集院氏が酒が強いのは血筋とのこと。

父は昔、ビール党で一晩に50本近く飲んだ。それでも翌朝子供達が起きると、もう仕事に出かけていた。それに比べると、私の酒は軟弱だ。

別のところでは、こんなふうにも書いている。

それで外に口直しに行っていたんだから、私が酒を飲むったって、そりゃやはり血なのだろう。しかし私には大瓶のビールを48本飲んで、銀座へ出て行く体力はなかった。
(内山注;その頃、ビールは木箱に入っていて、1箱に24本入っていたとのこと)。

そのお父さんはどんな方かというと、

父は12歳の時、一人で兄を頼って朝鮮半島の、今の韓国・馬山の近くから片道の船賃を母親に貰い、日本へ渡って来た。
12歳といえば小学校6年生である。
少年が一人、言葉もわからない国へ、日本という国はゆたかで仕事もあると兄から聞いた言葉を信じてやってきたのである。

この辺は実話を基にした小説、「お父やんとオジさん」に詳しい。


明日も伊集院氏の追悼記事を続ける。




ランキングに参加してます。ぜひ一票を。
更新の励みになります!
   ↓
にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
にほんブログ村





IMG_4854.jpg

スポンサーリンク

内山 直

作家、医師、医学博士。
1968年新潟県新潟市に生まれる。新潟大学医学部卒業、同大学院修了。
2004年に独立し自分のクリニックを立ち上げ、「行列のできる診療所」として評判を呼ぶが、その後アーリーリタイアメントを決意。
2016年2月、クリニックを後輩医師に譲りFIRE生活を開始する。
地方都市でゆるゆると生息中。

「お金、地位、美貌」で得られる幸福はたったの10%で遺伝が50%とされています。
残りの40%に目を向ければ、幸せはすぐにやってくる!をキャッチフレーズに幸福の啓蒙活動を継続中。

自著の紹介

ツイッター(更新告知など)

ブログ・ランキング参加中

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

こちらは執筆・取材・講演依頼など業務連絡専用です。 記事に対するコメント・ご意見はX (旧ツイッター)でお願いします。 こちらに頂いても返答しかねますので、ご了承ください

全記事表示リンク

プライバシーポリシー

検索フォーム