寝床について ~ 伊集院静の研究8


11月24日、肝内胆管癌で亡くなった伊集院静氏が40歳代のころ、週刊文春で連載していた「二日酔い主義」から氏の生き様を紹介している。僕自身、もちろん伊集院氏ほど破天荒ではなかったものの、周囲との折り合いがつかず、酒に逃げることも多い時期だったので、共感し、ときには大いに励まされもした。

8回目の今日のテーマは伊集院氏の「寝床」について。

伊集院氏が20代後半から30代半ばまで「逗子なぎさホテル」に住んでいたのは有名な話。最初の妻との家を出、夏目雅子さんと結婚するまでの期間と合致する。

1924年創立というから、大正13年に創られて、65年続いた湘南の象徴に近い建物である。私はこのホテルに20代の終わりからしばらくの間住んでいた。そう書くと、えらく贅沢な生活をしていたようにみえるが、家賃は東京の独り暮らしのマンションより安かったし、食事も後半の3、4年は従業員食堂でただ飯を食べさせてもらっていた。

2年を過ぎた辺りからはお客というより同居人という感じで、この小さなホテルで毎夜酒を飲んでは、酔っ払って暮らしていた。
前にも書いたが、ひどい時は宿賃を半年も滞納していた。それでもホテルの人達は、そんなことはいっこうに構いません、という感じだった。

お金を払わないのは相変わらずで、まさに「伊集院の流儀」。
この頃は不倫相手の夏目雅子さんに複数回中絶をさせるわ、他の女優と三角関係になるわと、相当ひどい時期だったらしい。
小説は短編「皐月」を発表したものの、本人に作家デビューしたとの意識は希薄だったようで、自伝的小説「なぎさホテル」を読む限り、文書修行が中心の時期であった。


この後、夏目雅子さんとの結婚、死別を経て、一旦、山口県の実家へ戻るが、1988年には東京、麻布に居を構えている。

今の住まいには冷暖房がない。冬は厚着をすればいいが、夏は着ているものを脱いでいっても限度がある。木造モルタルのアパートである。
築20年か、いやもっとだろう。6畳に2畳の洗い場、風呂とトイレ。冷蔵庫は入居する時、大家から1年間5000円で借りた。白ペンキが何度も塗られた代物で、夜になると急に赤児のようにキイキイ泣く時がある。そして小机がひとつ。後は何もない。

このアパートについて1992年のエッセイから。

数年前、麻布の安アパートに住んでいた頃は、酔っ払って部屋に辿り着くと、コートを着たまま玄関で寝てることが多かった。

友人でイラストレーターの長友啓典さんは、後に文庫本の「解説」でこう書いている。

住んでいるアパートたるや万年床に霜が立ち、窓からカラスが舞い込み、出前の兄さんがどこからどこまでが入り口と畳の境界線かわからず長靴を履いたまま居間までやって来るぐらい、すさまじいアパートだった。

作家としての単行本デビュー作「三年坂」に収録された作品の一部はこのアパートで執筆されたはず。ここを同1988年に引き払い、京都の旅館に移り住む。

三年坂を上って、松原通りに出て、一昨年まで世話になっていた旅館に顔を出した。
「まあ、ながいことどす」
80歳を越えた老婆が元気な声で迎えてくれた。
この旅館には1年余り住んでいた。
80歳を筆頭に60歳、40歳、21歳と4代の、しかも女性ばかりが暮らしている家で、客はずっと私ひとりであった。

そこではこんなエピソードも。

困るのは、二日酔いの朝に湯豆腐をこしらえてくれるのはいいのだが、食べようとすると、すぐかたわらでもうビールを抜いて待っていることだった。
「むかえ酒できゅうとおいきやす」
つられて飲むと、また朝から酔っ払っていた。

いいなあ(笑)。
その翌年、1989年後半には多額の借金をつくる原因となった芸妓さんと一緒に住んでいたらしいことは、前回書いた。
「2人の女性」について ~ 伊集院静の研究6
(エッセイで引っ越しについて直接触れることはほぼ皆無なので、描かれている状況から推測するしかない)

芸者と別れ(3年付き合ったと対談にあるので、1991年頃か?)、1992年に「受け月」で直木賞を受賞した頃はホテル住まいだったもよう。

「もう少し落ち着いてもらえませんか」
事務所の女性が嘆く。
「ちいさな部屋でも借りて、そこでじっくり執筆されたら……」
……君ねぇ、住居を持つってことはだね、礼金に、敷金に、冷蔵庫を買って、蒲団を頼んで……、カーテンもいるんだぞ。風呂に入ろうと思ったら洗面器にバスタオルもいる。バスタオルを使ったら洗濯しなきゃいけないじゃないか、ほら洗濯機がいるだろうが、誰が洗濯物を洗うって言うんだ。そうそう乾燥機もいるじゃないか……。あんな無用の長物みたいなものに汗水流して働いた金を使うくらいなら、親のリーチに一発でドラ牌を切り出した方が、まだ納得できるってものでしょう……。

野宿されることも多かったようで。

その頃は放浪癖がまだ残っていて、公園のベンチとかビルの間で寝ることがたびたびあった。
酔ってふらふら歩いて公園の前を通りかかりベンチを見つけると、何となく腰を下ろしたくなった、そのまま朝まで寝たりした。ビルとビルの間も同じで、通り過ぎようとして狭い空間を見つけると、
――ここなら暖かくて寝やすそうだ。
とつい思ってしまい、誘い込まれるように入って行ってしまう。それで横になって長方形の夜空から冬の星が見えると、
――キャンプみたいで、悪くないな。
と思って目を閉じてるうちに眠ってしまう。
六本木界隈の公園と、ビルの間のことなら今でも相当な自信がある。

僕も酔っ払って繁華街のビルとビルの間で寝てしまったことは何度かある。
伊集院氏ではないが、あそこは本当に居心地がいいのだ。
ビルに切り取られ、少しだけのぞく夜空も悪くない。
そういえば一度、路地裏で寝ている所を友人がみつけ、起こしてくれたことがあったっけ。
よく見つけたな、と感心したことを覚えている(どうでもいいことを覚えてるね、僕も)。

直木賞を受賞し、篠ひろ子さんと結婚した翌年の1993年(43歳)にはこんなふうに書いている。

何年前になるのだろうか。朝まで酒を飲んでは、その辺りに見つけた公園で寝たりしていた。つい昨日のことのような気もするが、あの青年は今の私とは別人だったようにも思える。

すっかり落ち着き、無軌道な日々から卒業したかのように書いておきながら、翌1994年には……。

目を覚ましたらひさしぶりに天井がなかった。
青空がひろがっている。
コートのポケットのあたりで何か動く気配がする。顔を上げると、子どもがひとり私のコートを叩いていた。
――誰じゃ、こいつは。
「マコト君、こっちへ来なさい」
女の声がした。少年の耳が動く。大きな耳をした子供だ。
「マコト君、何してるの。こっちへ来なさい」
女の声が急に甲高くなった。少年はそれでもじっと私の顔を覗いている。
「マコト」
とうとう呼び捨てだ。少年が走り出した。うしろ姿を目で追うと、ブランコのところに女が二人立って、少女がひとりブランコにつかまっている。
マコト君はママのところへ戻った。するとママはいきなりマコト君の手をつかんで、
「どうしてそんな気持ち悪いことをするのよ、あんたは」
と手の甲をピシャリッと叩いた。
――気持ち悪いって、どういう意味だ。
頭をふると、ひどい頭痛がする。
――こりゃ昨夜は相当飲んだな。
起き上がると、寝ていたのはちいさな公園の中のベンチだった。ブランコの方を見ると、二人のママが眉間にしわを寄せて私をじっと見ている。
――私は怪しいもんじゃないって。
坐りなおした。あれっ、靴がない。周囲を探したが見当たらない。ブランコの方ではまだ私を睨んでいる。マコト君までが見てる。
――怪しいもんじゃないってば。
それより靴だ。私はずっと靴下で歩いとったのか。
――家を追い出されたんだろうか。
あった。ベンチの下にちゃんと揃えて置いてある。(酔ってても几帳面だね)
靴を履こうとしたが、足がふくらんでいてなかなか入らない。ポケットの中から名刺をだして靴べらにした。見ると酒場の名前とホステスさんの名前がある。ぜんぜん知らない人だ。
――それより、ここはどこなんだ。
お寺が左手にある。周囲は住宅地。
――なんでこんなところで寝てしまったんだよ。
ぜんぜん記憶がない。


「どうしてそんな気持ち悪いことをするのよ、あんたは」
には、思わず笑ってしまった。
このお方が、まさか紫綬褒章を授与されることになるとはなあ(って、昨日も呟いたっけ?)。

明日は9回目。このシリーズもいよいよ佳境に入る。
お題は伊集院氏の「ファッション」について書く予定。ファンの間では有名な話題だが、詳しくない方には驚いていただけると思う。

(『1』からお読みになりたい方はこちらから)



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地元のフレンチにて。プツプツしたパスタが絶妙だった(名前は失念)。

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内山 直

作家、医師、医学博士。
1968年新潟県新潟市に生まれる。新潟大学医学部卒業、同大学院修了。
2004年に独立し自分のクリニックを立ち上げ、「行列のできる診療所」として評判を呼ぶが、その後アーリーリタイアメントを決意。
2016年2月、クリニックを後輩医師に譲りFIRE生活を開始する。
地方都市でゆるゆると生息中。

「お金、地位、美貌」で得られる幸福はたったの10%で遺伝が50%とされています。
残りの40%に目を向ければ、幸せはすぐにやってくる!をキャッチフレーズに幸福の啓蒙活動を継続中。

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