今年の目標はずばり坐禅! その理由を説明する。


さて、去年最後のブログの続き、なぜ僕が今さら坐禅にはまっているのか、その理由を書きたい。
どうやら僕らが感じている「確固たる自我」は脳がつくりだした幻想にすぎないらしいのだ。
これはスピリチュアルの怪しげな言説ではなく、多くの心理学者や脳科学者が科学的知見として指摘しており、僕自身はもはや疑う余地はないと思っている。
興味がある方は下にリンクを貼った2つのシリーズをチェックしてほしい。

確固たる自我などなく、単なる「印象操作機関」であるに過ぎない
分離脳での実験で僕らの「作話癖」は白日の下にさらされる

その中から一部を抜き出すと、たとえばこれ。
池谷裕二著「脳には妙なクセがある(扶桑社文庫)」から。


p307~
ガルディ博士らは、本人が「まだ決めていない」と信じていても、その人の自動メンタル連合を測定すれば、すでにどちらに決めているかが当てられるといいます。自動メンタル連合とは、物や言葉に対する反射のことです。
実験では、イタリアの小都市ヴィチェンツァで、アメリカ軍基地を拡張する政策に関する意見を、住民129人に聞いています。この政策に関しては、当時メディアでも賛否両論入り乱れていました。

実験とはこんな具合です。目の前のモニターにさまざまな映像や単語が現れます。そこで、映されたものが、「良いもの」だったら左のボタンを、「悪いもの」だったら右のボタンを押してもらうのです。できるだけ素早く正確にボタンを押すのがポイントです。
モニターには、是か非かがはっきりと別れる単語(幸運、幸福、苦痛、危険など)に交じって、アメリカ軍基地に関係した写真が提示されます。そこで、ボタンを押すまでの反応時間と判断ミスの頻度を測定します。
(中略)
そんな実験を行って、思考の連合癖を調べておけば、当人が「まだ賛否を決めかねている」と感じていても、最終的にどちらの支持に回るかを、事前に高確率で予測できることがわかりました。基地の写真を見たときに、どう反射するかを知ればよいのです。
重要なことは、決断をする本人より先に、試験を行った研究者に、将来の解答がわかるという点です。つまり、本人は無自覚だけれども、無意識の世界ではすでに賛否を決定していると言えます。
もうひとつ重要なことは、自動メンタル連合によって現れる傾向は、本人の意識にあがる信念とはほぼ無関係だったという点。つまり、基地拡張に意識の上では好意的であっても、潜在的には快く思っていないということもあるわけです。この場合には、無意識の姿勢が最終判断に反映されやすいことがわかりました。
(中略)
さらに面白いことに、決断後に「どうしてアメリカ軍基地拡大に賛成したのですか」と訊くと、「現在のイタリアやアメリカの政況や外交を考えると……」などと、自信満々に理由を創作するのです。後付けの屁理屈にすぎないのですが、本人はそれが本当の理由だと確信しています。
本当は潜在意識のなかですでに決まっているのです。ニュースに接したときにどう感情反応するかは、当人の知識や過去の経験によってすでに決まっているのに、理由を問われたとき、誰一人として「ただの反射です」と答える人はいません。人は自分の行動の意味を、本人のあずかり知らないところで偽造する癖があるのです。


「本人は無自覚だけれども、無意識の世界ではすでに決定を下している」
「意識している思考より無意識のほうが最終判断に反映されやすい」
「決断の理由を聞かれると、自信満々に事実とは異なる理由を作話する」
どうだろう? 僕が「確固たる自我なんてないじゃん」と考える理由の一端がわかっていただけただろうか?
しかし、それが理解できたからといって、「了解、終了!」とはならない。
データから理屈では理解しても、感情はいまだに「われ思う、ゆえに我あり」で、どうしたって自我があるように感じるし、その呪縛から自由になれない。
本当に自我がないのだとしたら、何としてでもそれを感覚的に理解し、自分の中に落とし込みたい。わかるとわからないとでは、残りの人生が大きく変わってくるはずだ。
そこで有効なのが坐禅や瞑想。
そもそも仏教徒は釈尊が菩提樹の根元で座禅瞑想をし、「無我」に気づいたのが始まりで、現在も多くの修行僧が坐禅によって実際に無我の境地を得ている。
日本テーラワーダ仏教協会のHPにはこう記されている。

「無常を悟る、無我を悟ることが仏教だ」と言われる、その無常、無我を一瞬だけでも「体験」して、「我がある」という邪見・煩悩が、単なる知識として分かるのではなく、本当に消えるのです。

このような思考を経て、「無我」を体感するために、昨年、臨済宗道場の門を叩き、坐禅修行を本格化させたというわけだ。
しかし、半年間坐り続けても、僕にはいまだに「無我」がわからない。そこで今年は正式に入門し、公案、続に言う禅問答の修行に入ることを検討している。
公案とは何かというと、たとえば代表的なものに「父母未生以前本来の面目」がある。
「自分が生まれる前の更に前の、父母が生まれる前において自分は一体何だったのか」
あるいは
「まだ自分が母の胎内を出る前の、つまりいまだ生まれ出づる前の汝の心境を言ってみよ」
という問いで、いくら理屈で考えても答えはでない(でるわけがない)。
坐禅で無心になり、自分が公案と一体になることによって初めて、理屈ではなく感覚的に理解できるもの……らしい。
「父母未生以前の本来の面目」がわかれば、すなわち「無我」も腑に落ちるはず。
そして、公案に集中することによって雑念を消せば公案と一体化しやすくなり、それによってさらに雑念は消えていき……という具合に、坐禅における集中訓練との相乗効果も期待できるらしい
なるほど、それは興味深い! と共感してくれた読者はあまりいないかもしれないがw、僕にはとてつもなく面白いチャレンジに思える。
現在55歳。なんとか還暦までに悟りを開き、そこから新しい人生のステージを始めることが、今の僕の最大の目標だ。

それに、本音をいうと、他の人生の課題はやり尽くした感があるのだ。
社会的地位にはもはや興味がない(でなければ開業医を辞めていない)。
名声にもそそられない(自著の出版時にあちこちで取り上げてもらい多少は経験できたが、執着するほどのものではない)。
事業と投資の成功により、贅沢さえしなければ十分足りるだけの金はある(貴重な時間を再度労働に割いてまで贅沢をしたいとは思わない)。
昔のようにゴルフやテニスを楽しもうという気にもならない(年と共に『勝ちたい』『人よりうまくなりたい』という感情が希薄になってきている。運動だけならジョギングの方が効率的だ)。
人生の目標のうち未達成なのはアフリカの大地を体験することで(アフリカはモロッコにしか行ったことがない)、これは子供たちが巣立った後にじっくり時間をかけて回る予定でいる。
もちろん子供たちの成長を見守るのは楽しみだが、いかんせん能動的要素が少ないし、それだけが生きがいでは寂しい。
こんな感じで、人生に残された課題はほとんどないので、後は悟りを開くくらいしか面白そうなことがみつからないのだ。
とんでもない変わり者と思われるかもしれないが、紀元前のインド、日本でも鎌倉時代には、僕のように社会的義務を終えてから修行に入る人は多かったらしい(だから何なんだ、と言わないでw)。

説明が長くなったが、というわけで今年は去年以上に座禅を軸とした年にするつもり。
アーリーリタイア後、おそらくは最大の挑戦になると覚悟している。



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内山 直

作家、医師、医学博士。
1968年新潟県新潟市に生まれる。新潟大学医学部卒業、同大学院修了。
2004年に独立し自分のクリニックを立ち上げ、「行列のできる診療所」として評判を呼ぶが、その後アーリーリタイアメントを決意。
2016年2月、クリニックを後輩医師に譲りFIRE生活を開始する。
地方都市でゆるゆると生息中。

「お金、地位、美貌」で得られる幸福はたったの10%で遺伝が50%とされています。
残りの40%に目を向ければ、幸せはすぐにやってくる!をキャッチフレーズに幸福の啓蒙活動を継続中。

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