確固たる自我などなく、単なる「印象操作機関」であるに過ぎない ~ なぜいま、仏教なのか2


昨日から引用しているのは、ロバート・ライト著「なぜ今、仏教なのか(早川書房)」。
原題は過激で、「Why Buddhism Is True」。なぜ仏教は真実なのか、というものだ。

今日取り上げるのは、「無我」について。ブッダは、自己という概念は想像上の誤った思いこみで、実態を持たないと説いている。
昨日紹介した、「苦しみの原因は欲である」は比較的理解しやすいが、「無我」はかなり難しい。
しかしロバート・ライトはこの難題に科学的、論理的に答えようと研究データを紹介していく。
分離脳の実験、そしてベンジャミン・リベットがはじめた一連の有名な実験。それらを踏まえた上で、行動を起こそうと「決意」したことを本人が自覚する前に、すでに脳が行動を起こしている、と論理的に結論づけている。
僕らが水を飲むのは、「飲む」と自我が決めたからではないのだ。
「飲む」ことはすでに何かが決定していて、「自我」はその一瞬後にそれを追認し、そして、「それは自分が決めた」と錯覚しているに過ぎない・・・らしい。
これには科学的根拠がいくつもある。
ちなみに自著「4週間で幸せになる方法」の中では、同じような内容を、

“今まで慣れ親しんできた、「頭の中での妄想をほぼ現実として認知し、それに寄り添う」ような思考・行動パターンは、そう簡単に塗り替えられるものではない。(p64)”

と表現している。
少し角度は違うが、言いたいことはかなり近い。
あたかもCEOのように自分自身をしっかりと掌握している「自我」というものは、どうやら存在しないようだ。

そしてもう1点、僕らのほとんどは、自分が「平均以上」の人間だと思っている。これは明らかに間違いだ。分布がよほど極端でない限りは、約半分は「平均以下」の人間であるはずだからだ。
人は自分をより有能であると信じ、人にもそう思わせようとする。その理由は前回も書いた、「遺伝子増幅」に求めることができる。周囲が自分を有能だと思ってくれた方が、遺伝子増幅には有利なのだ。

これをまとめたのが以下。

p109
“したがって、全部で最低でも2種類の錯覚がある。1つは自我の性質についての錯覚で、私たちは自我が実際よりもものごとをちゃんと掌握できていると考える。もう1つは自分がどういう人間かについての錯覚で、私たちは自分自身を有能な正直者と考えている。両者には相乗効果がある。1つめの錯覚は、自分が矛盾やブレのない人物だと世間を納得させるのに役立つ。(中略)その称賛や非難を受けるべきは内なる自分だ。2つめの錯覚は、自分にふさわしいのが称賛であって非難ではないと世間を納得させるのに役立つ。私たちは平均的な人より道徳的で、平均的なチーム仲間より成果をあげている。”

人類学者、ジェローム・バーコウ曰く、
「自我のおもな進化上の役割は印象操作機関になることだといっていい」

なるほど。僕らは遺伝子を残すために、はなはだ自分に都合がいい形の「自我」を有していると考えれば、このややこしい状況もすんなり腑に落ちるというわけだ。
ちょっとわかりにくいと思うが、短い文章で紹介できるのはこのあたりが限界。
ただ、この部分に関してはなんとなく理解してもらえれば十分だと思う。
「自我」に関してのハイライトは、実はこれからだ。次回は「モジュール」なるものについて引用する。



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内山 直

2016年、47歳でセミリタイア。地方都市でゆるゆると生息中。
「お金、地位、美貌」で得られる幸福はたったの10%で、遺伝が50%。
残りの40%に目を向ければ、幸せはすぐにやってきます!

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