このような考えが受け入れられている文化では、女性と子供にとって、複数の父親をもつことは、より多くの男性から支援を受けられることを意味し、生存に有利になる。一度の性交では妊娠するには不十分だと考えられていた。セックスは継続しなければならない。ある男性は「子供の肉をつくるために」延々と生死を提供しなければならなかった。私は思い切って、性交は一度で十分だし、私の国では一度のセックスで女性が妊娠することもあると言ってみたのだが、笑われてしまった。いずれにせよ、セックスは妊娠中も続けなければならないが、相手は必ずしも同じでなくてもよい。とはいえ、女性の妊娠中に性交したすべての男性が、単なる社会学上の父親ではなく「ジェニター(生物学上の父親)」とみなされる。したがって、一人の子供に、二人、三人、もしくはそれ以上のジェニターがいることも珍しくない。
最初に紹介したアマゾン流域の文化とは正反対。ちなみにナ族の家庭は母系制。女性は母親、姉妹、兄弟、母方のおじと暮らす。こういう文化であれば、父親の存在は生存に必要がないことになる。ナ族(内山注;チベット付近で暮らす山岳農民の集団)の人びとは、誰が自分の生物学的父親かなど知らないし、気にもしない。ほとんどの人は父性は重要でないとみなしている。そこには特別な権利や義務がともなわないからだ。
ナ族は、男性、そしてセックスが、女性が赤ん坊を産むために必要だと知っている。だが、赤ん坊は地面に蒔かれた種のようにすでに女性のなかに宿っていて、男性の精液によって「水やり」されるだけだと考えている。水やりするのが誰であろうと違いはないと思っている。
ううむ。ナ族、激しい(笑)。家族以外の血縁のない男性が家庭に入ることはめったにない。だが、男性は頻繁に家庭を訪れてはそこで女性とセックスする。実のところ、女性は他人の家でセックスしてはならないとされている。そうした行為をナ族は「霧のなかを突進する盛りのついたメスブタ」になぞらえる。
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内山 直
2016年、47歳でセミリタイア。地方都市でゆるゆると生息中。
「お金、地位、美貌」で得られる幸福はたったの10%で、遺伝が50%。
残りの40%に目を向ければ、幸せはすぐにやってきます!