前回に続いて、鈴木信行著「宝くじで1億円当たった人の末路」(日経BP社)の紹介。表題になったテーマについては、マネーフォーワード取締役の瀧俊雄氏にインタビューしている。
結論から言うと、「しっかりとした準備をしないかぎり、宝くじなんかに当たると、一家離散、貧困化、人生の目的喪失など、ろくなことにはならない」のだそうだ。
リンク
普通に考えればバラ色に思える宝くじ当選が、なぜそのような悲劇をもたらすかというと、
・ おすそわけを期待する家族・親族内トラブルが生じる
・ 「急に資産を築いた人」の財布を開くためのマーケティングは研究し尽くされており、からめとられるように生活レベルを上げてしまう
・ 人生のやる気を失い、退屈する
といった理由らしい。
まあ、そんなもんだろうな、と思う。
それにそもそも宝くじなど、まず当たるものではない。その理由については、本書から直接引用する。
“p21
宝くじは、数あるギャンブルの中でも、ものすごく割に合わない賭けごとです。
1枚買って7億円が当選する確率は約1000万分の1以下で、交通事故で死ぬ可能性よりもはるかに低く、99.999……%の人は、生涯買い続けても1等などまず当たりません。おまけに、控除率(購入代金に占めるテラ銭の比率)は約50%と、競馬や競輪(25%)も真っ青の高さ。召し上げられたテラ銭は、販売経費を差し引かれた後、地方自治体に分配されることから、経済学の世界では「宝くじ=愚か者に課せられた税金」と定義する人もいます。“
まず当たらない。
そしてたとえ当たったとしても、悲惨な末路が待ち構えている可能性が高いのなら、なんとも救いのない話だ。
宝くじなど買うものではない、ということになる。
株やビットコインで大儲けした人がマスコミで取り上げられることがある。そういった人に対して、以前なら僕もうらやむような感情をもったかもしれないが、今はなんの羨望も起きないどころか、やや気の毒にすら感じている。
理由はいくつかあって、ひとつは自分が投資家として経済的に成功した経験と、近年の幸福学でのデータから、ある程度以上の資産は幸福をもたらさないと実感しているから。
お金なんて基本的な生活に不自由しない分さえあれば、それ以上あっても幸福度は上がらない。
何十億なんて金は、どう考えても不要だ。
さらに今後、投資長者たちに何が待ち受けているかを想像する。
得た財産で余生を心豊かに生きる……とは、まずならないだろう。短期間で莫大な利益を得るような投機に成功すると、それは麻薬のような呪縛力をもつ。
ほとんどの人はトレードを続け、ごく一部を除いてはいつかは敗れ、退場することになるだろう。そこから以前の「普通の生活」に戻ることは、かなりの試練になるのではないか?
もちろんほんの一握りとはいえ、成功し続ける人もいるだろう。
その場合、その人は投機を続けることになる。もはや裕福さを実感できる額とはケタ違いになった、半ば記号化された資産額を増やすためにギャンブルをし続ける。
死ぬ間際になって人生を振り返ったとき、いい人生だったと思えるだろうか? 僕には時間の浪費に思えてならない。
たった一度の人生。資産のような地位財に拘泥するのではなく、愛情、自由、自主性といった非地位財の充実を目指すべきというのが僕の(いつもながらの)結論になる。
寿命がある以上、時間は有限だ。時は金なり、ではない。比べようがないくらい時間のほうが重要だ。
そして、こんな内容を様々なデータを元に熱く語ったのが、自著“幸せの確率 あなたにもできる! アーリーリタイアのすすめ”である。
興味のある方はぜひ手に取ってもらいたい、と宣伝したところで、今日の記事はお終い。
リンク
ランキングに参加してます。ぜひ一票を。
更新の励みになります!
↓
にほんブログ村
海鮮の柚子釜、他。