「人生」は「時間」。時間がなくなるとは、すなわち人生の終焉に他ならない。

アーリー/セミリタイアブログをみていると、リタイアしたら時間を持て余して困る、あるいは、そうなるんじゃないだろうかと不安だ、という文章が散見される。
今週は3回にわけて、それについての私見を述べたい。

僕は「人生」を「時間」と捉えている。
時間がなくなるときが、死、すなわち人生の終わりだからだ。
だから時間を持て余すなどと聞くと、その人の生きて行く意義ってなんだろうと首を傾げたくなってしまう。

子供の頃を思い出してほしい。
遊びなんていくらでも思いついたし、空想しているだけで楽しむこともできた。
僕らには元来、そんな能力があるはずだ。
大人になって束縛の強い日常を送らざるをえなくなるにつれ、発想が硬直し、柔軟な思考ができなくなっただけだと僕は考えている。

ただし人によっては、幼少期にもっていた自由な感性を取り戻すのが、難しい場合もあるかもしれない。
そこで今日は有意義な趣味をみつけるための実践的テクニックを紹介する。
これはリタイア後のことを想定して書いているが、エッセンスはリタイア前であっても応用可能だと思う。

まずは、今までの人生で夢中になった趣味や遊びを箇条書きにしてみる。
学生時代の部活、楽器などの習い事、旅行、ハイキング、映画鑑賞や読書など、少ない人でも2つや3つはあると思う。
そして書き出す時には、当時のことをできるだけ詳しく思い出すようにしてほしい。
それらに没頭していた時の感覚がよみがえってきて、少しずつ楽しい気分になってくるはずだ。そうやって過去のポジティブな記憶から刺激をうけることにより、思考が柔軟になってきたところで、次はいつか時間があったらやってみたいことを思いつくままに書いてみる。
もし今すぐにではなくとも、死ぬまでに絶対にやっておきたいというようなことがあったら、二重丸で囲むといい。
それは「とても関心がある」にもかかわらず、「労力や時間がかかるので、なかなか手を伸ばせない」ことだろうから、リタイア後に真っ先に取り組むべきことと考えて間違いない。

そしてやりたいことの候補があがったら、たとえそれが10も20もあったとしても、優先順位をつけずに、片っぱしからどんどん手をつけてみる。

いきなり本格的なものを目指す必要はない。
海外旅行をしたいなら、インターネットで行きたい国の情報を集めてみるとか、やめてしまった楽器をまた始めたいのなら、埃をかぶった楽器を物置から引っ張り出してみるといった具合に、どんなに小さくてもいいから、とりあえず最初の一歩を踏み出すことが大切だ。
そうすることによって、自分の適性がどこにあるのか早い段階で気づくことができるだけでなく、それぞれのことが思わぬ相乗効果を生み出して、自分にとって最高に楽しめる状況が短期間で実現することもある。

「まずこれを優先的にやって、ある段階に達したら、次の目標も検討しよう」などという具合に計画的になってしまうと、結果として夢の実現が遠のくだけでなく、そもそも一番大切なワクワク感が半減してしまう。
目標を立てた上で計画に沿って遂行することは、社会生活で効率よく課題を処理するのには適しているかもしれないが、自由な人生を楽しむ立場になれば、そんなものは長い束縛の中でこびりついてしまった悪癖に過ぎない。

子供の頃、私たちはどんなことを夢想していただろう?
「もしドラえもんがうちに来たら、何の道具をお願いしよう?」
「家から学校まで続く長い滑り台を造って、それで学校まで行けないかな?」
「あの木の上に板を組んで、秘密基地を作ってみようか?」

大人になってからは?
「今月のカード支払い、銀行の残高は十分かな?」
「先週まとめた企画書、ちゃんと会議で通るといいけど・・・」
「今リタイアしても、本当にお金は足りるだろうか?」
計画的であることは、時には大事だ。
でも管理されたスケジュールに沿って歩んでいく人生なんて、おもしろいわけがない。

僕自身、今の生活で退屈することはもちろんあるが、時間を持て余すのとは違うと感じている。
時に退屈は、悪くない。
もちろん程度問題ではあるが、もし忙しすぎて退屈する暇もないのだとしたら、そちらのほうが尋常ではない気がする。

あなたがすでにリタイアしているにせよ、そうでないにせよ。
子供のように頭を柔軟にしてどんどん新しいことに手を出せば、時間を持て余すわけがない。

このテーマに沿って、次回も書きたい。

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内山 直

2016年、47歳でセミリタイア。地方都市でゆるゆると生息中。
「お金、地位、美貌」で得られる幸福はたったの10%で、遺伝が50%。
残りの40%に目を向ければ、幸せはすぐにやってきます!

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