小学校時代の同級会に参加してきた(もちろんコロナ禍前の話です)


3年前のブログ。今は同級会などとても無理なので、参加できて本当によかった。

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先週末、小学校5~6年生時代の同級会に参加してきた。
以前、このブログであまり同級会の類が好きではないと書いたような気がする。僕は記憶力が極端に悪いので、名前や顔を思い出せず、相手に不快な思いをさせそうで苦手なのだ。
しかしこのクラスだけは例外。本当にすばらしいクラスで、深く記憶に残る2年間だった。
それはひとえに担任であったT先生の熱意による。当時T先生は教職についてまだ2年目の熱血教師だった。
(もちろん若いころの)田中健とダスティン・ホフマンを足して2で割ったようなイケメンであり、筋骨たくましいスポーツマンであり、バスケットボールと“さだまさし”をこよなく愛し、さらに今思えば田舎から出てきた純朴な青年でもあった。

T先生の授業で印象的だったのは、常に生徒同士でサポートをさせたこと。
たとえば算数の問題は、早く解けた順に、算数が苦手な生徒のサポートにあたる。
体育でも同様。得意な生徒が不得手な子を指導する。
それがとにかく徹底していて、なにごとに対してもクラスが一丸となる雰囲気ができていた。

そういえば、授業では全員に手を上げさせていたっけ。
自信のある生徒だけに手を上げさせると、手を上げる機会の少ない生徒はやる気を失うし、授業も盛り上がらない。だから自信のある子は手をパーの形、自信はないけれどわかった気がする子はチョキ、まったくわからない子はグーにして、全員が手を上げるというルールになった。
教室に活気がでるだけでなく、T先生はバランスを考えながらチョキの子にもあてたりするから、生徒のほうも緊張する。
実におもしろい試みだったと思う。

ただしT先生のすごさは、むしろ授業外にあった。
学校のそばで一人暮らしをしていたT先生は生徒たち全員に、
「週末はいつでも泊まりにきていい」
と公言していた。
だから土曜日のT先生宅には常に数人、多いときは十数人の生徒が寝泊まりしていた。
信じられないという人もいるかもしれないが、これは掛け値なしに本当の話。今なら問題にされてしまうだろう。
当時の彼女(今の奥様)には、よく、「生徒をとるのか、私をとるのか」と怒られていたそうだ(そりゃそうだ)。

T先生の出身地は、学校の所在地から車で数時間かかる山間部にあった。子供たちに田舎を体験させたいと、自分が実家に帰るたびに、数人ずつ生徒を泊りがけで連れて行った。
T先生はもちろんすごいけれど、ご両親もさぞかし大変だったことと思う。
僕自身、T先生の故郷で一緒に釣りをした思い出は今でも強く残っているし、裏庭の土をちょっと掘り返せば、餌になるミミズがわんさかいたことは強烈な体験だった。
田舎ってすげぇ・・・と言葉を失ったことを記憶している(変なことを覚えているもんだネ)。

生徒全員を連れて、これも泊りがけでキャンプに行くこともあった。一度は海、一度は山。
引率者はT先生ひとりで、40数人の生徒を連れて行くのだから、今思えば事故がなかったのは幸運としか言いようがない。
山でキャンプをしたときは、なんとそこで暴走族の集会が始まってしまい、夜遅くまでキャンプ場を取り囲むようにしての暴走、爆音が続いた。
僕ら生徒も怖かったが、T先生はさぞかし肝を冷やしたことと思う。

よく手も出る先生だった。僕は特に、T先生の指導するバスケットボール部の部員でもあったから、よく殴られた。
しかしそのことを恨みがましく思ったことは一度もなく、むしろいい思い出になっている。
その経験もあって、僕は今でも体罰に対して完全に否定的ではない。
T先生が殴るときのキメ台詞は、「問題外の外だいや!」
その後で、バチンとくる。
ちなみに、この「だいや」はT先生の故郷の方言。殴るときにキメ台詞があるなんて、なんだかゴクセンみたいで作り話めいてくるが、これも掛け値なしの本当の話。

先週末の同級会ではT先生、そして旧友たちと、10年ぶりの再会を果たしたというわけだ。
参加者は10数名。
まだ少年の時代に転出をして、以来音信不通の人も多いことを考えれば、かなりの出席率だと思う。
バンコクからわざわざこのために帰ってきたという友人もいた。

会う顔、会う顔がなつかしい。
おもしろいと思うのは、みな、キャラクターが当時のまま、あまり変わらないということ。
優秀だった子は今でも優秀そうだし、大人びてみえた女の子はそのまま色っぽくなっていた。
丁寧な絵を描いていた友人は、コンピューター関係の仕事に。
やんちゃだった彼は職人に。
お調子者で、クラスの人気者だった男子ふたりはともにマスコミに就職。人を楽しませるのが天職なのだろう。
相変わらず話術に長けていて、話していてもすぐに引き込まれた。

僕はといえば、皆から異口同音に「変わらない」と言われた。
「当時から、なにか達観しているような感じがした」のだそうだ。
しかしこれは皆のありがたい勘違いで、僕は単にボーっとしていただけだと思う。
今でも空気が読めないところがあるが、思い起こせばこの頃からそうだったところをみると、これは天性のもので、多少の努力ではどうしようもない性質のようだ。

僕らが小学校5年生のとき、担任になったT先生が当時教師2年目。ということは僕らとの年齢差は、13年しかないということになる。
当時は完全に大人と子供でも、今は50歳と63歳。
もちろん対等というわけにはいかないが、お互いにいい大人だ。話題によっては同じ目線で議論することもできる。
ところが数分後、昔話に戻ると、とたんに教師目線、生徒目線になる。なんともおもしろく、そして目まぐるしくて、ずいぶんと酔いがまわった。
実にいい夜だった。

古い友達って、いいなあ。
あれから40年近くたつのかぁ・・・いや、はや・・・
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小学校卒業から今日でちょうど40年。
いや、はや・・・としか言いようがない(苦笑)。



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内山 直

作家、医師、医学博士。
1968年新潟県新潟市に生まれる。新潟大学医学部卒業、同大学院修了。
2004年に独立し自分のクリニックを立ち上げ、「行列のできる診療所」として評判を呼ぶが、その後アーリーリタイアメントを決意。
2016年2月、クリニックを後輩医師に譲りFIRE生活を開始する。
地方都市でゆるゆると生息中。

「お金、地位、美貌」で得られる幸福はたったの10%で遺伝が50%とされています。
残りの40%に目を向ければ、幸せはすぐにやってくる!をキャッチフレーズに幸福の啓蒙活動を継続中。

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