コロナ禍以前から、僕はあまり外食をしない。
ありがたいことに妻が和・洋食はもちろん、タイ料理も玄人はだしの腕前でつくってくれるし、それこそ、キムチだって自分で漬けてしまうくらいだから、家で十分おいしいものが食べられる。そのほうが、くつろげていい。
とはいえ友人と会うときは外食になる。そういう時にどんな店を選ぶか。
僕の場合は一にもニにも、オーナーやシェフの人柄だ。
もちろん、味がまずいのは困る。
でも少しでもうまいものが食べたい、などとは思わない(そういう発想は、なんだか下品であるように感じてしまう)。
ほどほどのものを、ほどほどの雰囲気の中、ほどほどの値段で出してくれればそれでいい。
客を時には怒鳴りつけるような、「名物板前」がいるような店には絶対に行かない。
そもそも友人と会う時、僕は料理の味がよくわからなくなる。話に集中すれば、皆、大なり小なりそうなるのではないか?
料理に集中すれば、逆に友人との会話がおざなりになってしまう。そんな失礼なことは、もちろんしたくない。
だから店にこだわるのは、本当に一握りの、(よくも悪くも)弛緩しきった状態でも分かり合える、付き合いの長い友人と出かける時だけということになる。
オーナーの人柄がいいと、僕の場合、お金を払ったという意識が希薄になる。僕の金が彼(彼女)の懐に入るのなら、まあ、どっちでもいいか、という感じだ。
だから「近くに似たような店で、もっと安いところがあるのに」と言われても、まずそっちへは行かない。安かろうがなんだろうが、金を失った感覚が生じてしまう分、幸福度としては「損」に思えてしまう。
僕は地方都市の郊外で育った。当時、町にはレストランや食堂はほとんどなく、たまに家族で外食するときは徒歩圏内の2~3軒の中から選んで行っていた。
もちろん、両親と店主は顔見知りだ。車やタクシーで遠くのレストランまで、なんていうことは年に1度もなかった。
たとえ近所の、今思えば冴えない店であっても、たまの外食には十分ワクワクしたことを記憶している。
大人になった今でも、外食といえば徒歩圏内で行けて、オーナーやシェフの感じがいい、数軒の店から選んでいるのは、その頃のワクワクをいまだ引きずっているのかもしれない。
それに選択肢が多過ぎると幸福度が下がることが、様々な調査から明らかにされている。豊かな国に住んでいる我々のほとんどは、すでに多過ぎる選択肢を与えられていると考えて間違いないだろう。
選択肢をどんどん増やすよりも、自分に合った尺度をつくって適度に絞りこむほうが、幸せに生きるためにはずっと有益に違いない。僕はそう確信している。
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