幸せの経年変化について、今度は精神分析学の古典からアプローチしてみます。「自己実現」という言葉は、皆さんもよく耳にすることでしょう。自分探しをして、自分のやりたいことをみつけ、それを実現させるような意味に使われます。
では、「自我実現」はどうでしょうか? こちらの方は、あまり馴染みがないかもしれません。
実はこれらの言葉は、スイスの心理学者ユングが最初につくったもので、自己実現は、自分が通常考える自分(自我)を超えて、無意識の自分をも含めて自己と捉え、それを開花させること、つまり、自分では意識せず、活かしきれていない、潜在的な性質や能力をも導き出して、本当の自分らしく生きることを意味します。
一方の自我実現は、自我の範囲内で、社会的に評価されるような目標を達成すること。努力して専門的な仕事についたり、大きなプロジェクトを成功させたりといった、意識した上で欲していた結果を得ることはこちらに含まれるので、現在、自己実現という言葉は、ユングの意図した本来の意味ではなく、むしろ自我実現に近い意味で使われることが多いようです。
ユングは、自分に相談に来る人々のうち、かなりの人が十分な地位的地位や財産に恵まれ、自我も確立した、一見した限りでは何の問題もなさそうな成功者であることに気づきました。そして、そういう人たちこそ、「本当に自分が望む人生を歩んでいるのだろうか」という悩みを抱くのだと考えたのです。そのような状態をユングは「中年の危機」と呼びました。それは、自我実現によって得られる精神的安定の限界であり、そこを起点として、人によっては自己実現へ向けてのチャレンジが始まります。自己実現は潜在意識までを含むので、自分にとってもよく意義のわからない要素も多く、達成には困難をともないますし、さらに、良識的なコントロールが効かなくなるため、時として社会や周囲との調和も難しくなってしまうのですが、それを成し遂げることによって、新しい創造性へと飛躍できるだけでなく、いずれ訪れる自身の死までも含めて、しっかりと心全体で納得し、受け止めることができるというのです。
現役時代の私は、ドクターとしての仕事に、誇りも、やりがいも感じていましたが、それでも数年ほど前から、患者さんの役に立つことによる喜びが、少しずつ薄れてきたことに気づいていました。単に仕事に慣れ過ぎたり、忙しすぎる日々によって感受性がすり減ったりしただけだったのかもしれませんが、もしかしたら、それは「中年の危機」だったのかもしれませんし、冒頭で述べた、自分が死に直面しているという悪夢こそ、まさに、自己実現を求める潜在意識の発露だったのかもしれません。
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内山 直
作家、医師、医学博士。
1968年新潟県新潟市に生まれる。新潟大学医学部卒業、同大学院修了。
2004年に独立し自分のクリニックを立ち上げ、「行列のできる診療所」として評判を呼ぶが、その後アーリーリタイアメントを決意。
2016年2月、クリニックを後輩医師に譲りFIRE生活を開始する。
地方都市でゆるゆると生息中。
「お金、地位、美貌」で得られる幸福はたったの10%で遺伝が50%とされています。
残りの40%に目を向ければ、幸せはすぐにやってくる!をキャッチフレーズに幸福の啓蒙活動を継続中。