下の息子ふたりが暇そうにしていたので、久しぶりに近所の公園にでかけた(最近は子供たちが忙しくなったので、以前ほど一緒に公園へは行かない)。
その時、ふと思い出した。
昔は子供と公園に行くとき、必ず文庫本を持ってきていたなあ、と。
現役医師時代、下の子はまだ幼稚園児だったから、公園で遊びたいといえばついていかざるをえなかった。
もちろんブランコを後ろから押してやったり、一緒に遊んだりすることもあるが、息子が遊んでいるのをみているだけで、手持無沙汰な時間もある。
そんな時、パラパラとめくるための本を持参していたというわけだ。そうでもしなければ、まともに本を読む時間がとれなかった。
アーリーリタイアした今、時間ならある。なにも息子たちと公園にいるときにページをめくる必要などない。
手持無沙汰で、屈することもなくなった。その時をしっかりと味わえば、退屈して困るなどということはないことに気づいたからだ。
子供たちがはしゃぐ姿、成長の様子、それに公園の風景、流れる風、季節の移り変わり、と楽しめるものはいくらでもある。
散歩をするとき、父親が一緒でうれしいなどと言ってくれる年数は実に短い。後々後悔するようなことがないよう、現在の日々をしっかりと味わっているところだ。
それにしても、公園で子供の面倒を見ながら読書とは。今思えば、あまりのせわしなさにあきれるくらいだ。
故・河合隼雄が著書で、
「父親は仕事をしすぎず、家で子供とゴロゴロしているくらいがいい」
と書いているのを読み、
「そんなふうにできればどんなにいいか」
と嘆いたこともあったっけ。
今は子供たちと過ごす時間が格段に増えた。この時間は決してお金では買えない。
「時は金なり」ではなく、「時は金よりもずっと大切」と信じる生き方。
これが正解、とまで言う気はないが、やはり僕には合っているようだ。
リンク
ランキングに参加してます。ぜひ一票を。
更新の励みになります!
↓
にほんブログ村
3年前、友人の誕生パーティーにて。コロナ禍でこういう宴会ができなくなったなあ。