今日は、リタイア後に生じるちょっとした問題について記しておこう。
アーリーリタイアが一般的だからなのかどうかはわからないが、英語だと同じ「仕事をしていない」状態でもリタイアした場合はretired、職にあぶれている場合にはunemployedという具合にはっきりと区別することができるのに対し、日本語では「無職」という肩書ひとつしかないため、自己紹介をする時の肩書に困ることもありそうだ。
ちなみに新聞の投書欄などでは、リタイア組も「無職」と名乗るのが一般的。僕の年で「無職」と名乗れば、間違いなく失業中と勘違いされてしまいそうだ。
そこで自分にちょうどいい肩書がないものか、あれこれと考えてみた。
リタイア後はずいぶん家事を手伝うようになってので、まずは「主夫」という言葉が浮かんだのだが、この言葉はやはり妻が働きに出ていることが前提だろう。
それにそもそも僕の場合、リタイア前と比べれば多少は家事に関わるようになったとはいえ、それでもほとんどは妻任せのままなので、そう名乗るのもおこがましいような気がする。
実情を正確に表現すればせいぜい「家事手伝い」というあたりなのだが、通常は若い女性に用いる肩書だから僕にはしっくりこない。
では「雑役夫」ではどうだろう?
リタイアしてからは妻にあれこれと用事を頼まれることが増え「自分は我が家の雑用係みたいだな」と感じたことがあり、その時に思いついた。しかし、これだと自虐的な響きが強すぎて自己紹介のたびに暗い気分になりそうだ。
「父親業」と答えるのも手かもしれない、とも考えた。
なんだかんだで、今一番時間をとられているのは教育を含め子供たちの相手をすることだ。
一般的な意味で仕事とはいえないだろうが、将来子供たちが立派な大人になり、社会に貢献できるようになるためのトレーニングをしているのだと考えれば、これも仕事と言い張ってもいいような気もする。
でもイクメンぶりを強調しているみたいで嫌味かなあ。
自由に生きるから自営業ならぬ「自由業」! これはいい言葉を思いついたぞと喜んだのも束の間、調べてみたところ、自由業という職種名は以前から一般的に使われていることがわかった。
定義は辞書によると「専門的な知識や才能にもとづく職業への従事者で,雇用関係から独立した職業分野。開業医、弁護士、芸術家などを指す」とのこと。
なあんだ、今までやっていた開業医の方が自由業だったのか、とこれもボツ。
奇をてらうのではなく、逆にオーソドックスにいこうと発想を変え、候補に浮かんだのが、「隠居」。
作家の故・山口瞳は、現在の僕と同じ47歳の時に、エッセイ「隠居志願」の中で、次のように述べている(「男性自身 生き残り」新潮文庫 収録)。
隠居というと、消極の最たるものを考えられがちだが、私はそうは思わない。
隠居は結構いそがしいのだ。町内の世話をやく、祭りがあれば出ていって余計なことを言う。若い者に意見する。時に俳句をつくったりする。小鳥を飼う。盆栽の手入れをする。
朝は、当然、早く起きる。私の家からなら、天満宮までマラソンをする。老人に駈足など出来るものかと思うのは大きに間違いであって、「マラソン大会に七十八翁も参加」などという新聞記事もあるように老人に駈足はつきものである。食事は三度三度きちんといただく。頭は呆けても食欲だけは衰えないものだ。晴耕雨読。私なら、月に一編ぐらいは随筆を書く。半年に一編の短編小説を書く。(中略)
テレビなんかは見ない。服装は粗末なものでいい。夜は早く寝る。医者に言われた薬はキチンと服用する。晩酌は二合まで。会合には出席しない。
読むだけで元気になってくるではないか。こんな隠居生活、実にいい。
ちなみにこれが書かれたのは今から約半世紀も前の、1973年のこと。こんな頃から、アーリーリタイア願望のある人はいたことがわかり、興味深い。
ただしこのエッセイは、「ああ、いつでも、どんな場合でも、問題は金なのだ」と結ばれている。
残念!
実際に文章を読めば、こんな愉快な隠居生活もあるのだと理解してもらえるだろうが、でもやはり、この「隠居」という言葉、引用文の冒頭にもあるように消極的なイメージが拭えない。
自己紹介するたびにこのエッセイを読んで聞かせるというわけにもいかないので、残念ながらこれもボツ。
女性はリタイアしても主婦という肩書が残るが、男性の場合は今のところ「無職」しか適当な呼称がなく、若干肩身の狭い思いをするしかなさそうだ、というのが本日の結論だ。
まあ僕の場合はいくら後ろ指を指されようとも「医師で作家、そして求道者」って名乗るけどね!
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チャーシュー、辛みそ、野菜味噌ラーメン。