江戸から明治時代の移行。庶民が大いにとまどったのは「時刻」だったとのこと。~伊集院静著「ミチクサ先生」を読んで


僕にしては珍しく小説を新刊で読んだ。
伊集院静著「ミチクサ先生」。夏目漱石の人生をつづった伝記的小説で楽しく読み進めることができた。


夏目漱石は1867年生まれだからぎりぎりで江戸時代の生まれ。小説の中で描かれていた江戸時代から明治時代への生活の変化が個人的にはとても興味深かった。
そもそも文学分野での僕の読後感想に興味のある人はいないだろうから、当ブログでは本筋ではなくそちらに焦点を当てて紹介したい。

p29
強盗が増えたのは町から番所が消え、同心、岡っ引きが廃止になったからだ。だからやす(漱石の養母)は、夜半の岡っ引きの笛もとんと聞かない。かわりに何を言っているのかさっぱりわからない“巡査”があらわれた。奇妙な格好で警棒を持ち、威張っている。
「ものとりは何のこっつでごわす……」
東京警視庁が明治七年に設置された。東京の“巡査”の多くは薩摩人だった。

p29
瓦版屋の声も消えた。かわりに男衆たちは“新聞”というものを額を寄せて読み始めた。『東京日日』『横浜毎日』『郵便報知』『朝野』が出揃い、四大新聞と称された。

p30
「金之助(後の漱石)の寺小屋をこどにしたらよいのか、私はそっちの方はとんと……」
「もう金之助もそんな歳か。しかしおまえは何も知らねぇのか。寺小屋なんてものはとっくになくなっちまってるよ」
「えっ、どうしたんです」
「少しは世の中のことを勉強しないと。寺小屋は去年の春に皆なくなって、今、子供は小学校へ行ってるんだ」
「小学校? 何ですか、それは」

いやはや、なんとも激動の時代ですね。
そして極めつけはこれ。

P31~
半年前から昼の十二時になると、旧江戸城本丸から時刻を報せるために大砲を射つようになった。最初は、また上野の山で戦争がはじまったかと、江戸っ子は驚いた。
(中略)
「もうすぐ鉄道が通る。新橋から横浜まで四十分で行くらしい」
「その四十分、五十分が私にはわからなくて」
やすの言うとおり、それまでの時刻の言い方を一時間とか、十二時だとか定めたが、庶民は、それを理解するまで皆苦労した。十二時を告げる大砲を皇から射つようにしたのも、この新しい時間制をひろめるためだった。維新前の東京は、各寺々が朝と夕に突く鐘の音でしか時刻を知る方法がなかった。昼間はどうしたかと言うと、物売りがやって来る。その声で時刻を見た。
魚屋、野菜、水売りが来るのが昼前、飴売り、饅頭売りが来ると、八つ時で、三時という塩梅だった。日本人に時間の観念を持たせることが、新しい時代にとって必要だったのである。

僕だってそれなりに大きな時代の変遷を目の当たりにしてきた気ではいる。
幼少期過ごした家は冷房はもちろん内風呂もなく、トイレは水洗ではなく汲み取り式だった。
ちなみに当時日本円は1ドル=360円の固定相場。今のように気軽に海外に行くことはできなかったし、海外の様子を紹介するテレビ番組もほとんどなかった。
テレビがリモコンで操作できるようになったのが小学生の頃。
高校生のとき我が家はようやくビデオデッキを購入し、リアルタイムでなくともテレビ番組が見られ、かつ借りてきたビデオで映画を自宅で楽しめるようになった。
大学生になるとワープロが普及し、学生が手書きでなくワープロを使ってレポートを出すのが徐々に一般的になっていった。
このころはよく海外でバックパックをしたが、旅行をしているアジア人は日本人ばかり。この後どんどんアジア各国、特に中国や韓国が豊かになり、GDPで中国に抜かれる日がこようとは想像もしていなかった。
携帯電話が広く普及しはじめたのは僕が研修医だった頃。さらにパソコン、インターネットの普及で情報収集がはるかに容易になった。
以前は司書さんに取り寄せを依頼していた論文がインターネットですぐに読めるし、グーグルが翻訳までしてくれる。著者による解説や質疑応答をツイッターでチェックすることもできる。
幼少期と今とを比較するとなかなかの変化だと思うが、「ミチクサ先生」で描かれていたような、八つ時が午後三時になるといった変化と比べれば些末であるかもしれない。

というわけで夏目漱石の軌跡を追いながら当時に思いをはせる、楽しい時間をすごすことができた。
おすすめ。
せっかくだから明日も江戸時代、明治時代についてFIREの観点から書きたいと思う。 



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内山 直

作家、医師、医学博士。
1968年新潟県新潟市に生まれる。新潟大学医学部卒業、同大学院修了。
2004年に独立し自分のクリニックを立ち上げ、「行列のできる診療所」として評判を呼ぶが、その後アーリーリタイアメントを決意。
2016年2月、クリニックを輩医師に譲りFIRE生活を開始する。
地方都市でゆるゆると生息中。

「お金、地位、美貌」で得られる幸福はたったの10%で遺伝が50%とされています。
残りの40%に目を向ければ、幸せはすぐにやってくる!をキャッチフレーズに幸福の啓蒙活動を継続中。

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