今日はオーストラリアで緩和ケアに長く携わってきた看護師、ブロニー・ウェアによって書かれた「死ぬ瞬間の5つの後悔」(新潮社)が題材。
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緩和ケアの仕事をしていれば、当然、多くの死にゆく人と接点、交流をもつことになる。著者が仕事から得た経験によると、後悔トップ5の内容は、
「自分に正直な人生を生きればよかった」
「働きすぎなければよかった」
「思い切って自分の気持ちを伝えればよかった」
「友人と連絡を取り続ければよかった」
「幸せをあきらめなければよかった」
であり、逆に
「もっとお金が稼ぎたかった」
と後悔する人はいないそうだ。
この本に登場するジョン(仮名)は、妻が「ふたりの時間を大切にしたい」という理由から彼のリタイアを待ち望んだにも関わらず、それに耳を貸さないまま10年以上も先延ばしにした挙句、リタイアの3か月前にその時をずっと心待ちにしていた妻を病気で亡くしてしまった。
自分自身が死ぬ少し前、ジョンはブロニーにこう言ってこぼしたそうだ。
「家族以外にこの世に何かよいものを遺せるとしたら、この言葉を遺すよ。働きすぎるな。バランスを失わないようにすること。仕事だけが人生にならないようにしろ」
もちろんたくさん働いた人すべてがそのような思いをするわけではいだろう。ではどのような人が死ぬ間際になって、仕事をしすぎたことを深く後悔することになるのか?
地位財、非地位財の知見を踏まえ持論を述べると、地位財、すなわち仕事による収入や社会的地位をモチベーションに仕事をした人は、死の淵に立つとそのことを後悔しがちだし、やりがいや自己実現といった非地位財を求めて仕事をした人は、それを悔やむことは少ないのではないか?
現にジョンも働いていた時は社会的地位や物質的な成功で自分の価値を計っており、それゆえになかなかリタイアの決断ができなかったのだという。
あなたがとても仕事が好きだとして、死ぬ間際に働き過ぎたことを後悔するかどうかは、あなたが今余命6か月と宣告されたら、その仕事をそのまま続けるだろうかと想像すれば大きなヒントを得ることができる。
例えばもしあなたが営業職についていて「素晴らしい商品を世界に広める」ことが生きがいなのだとしたら、生ある限り仕事を続け、それを悔やむことはないかもしれない。
しかし仕事が収入や社会的地位を得るためのツールに過ぎず、がんばっている理由が昇給を得ることや、同期を出し抜いて先に営業部長になることだとしたら、残された半年の命を仕事に捧げるようなことは絶対にしないはずだ。
「仕事が好きだから、アーリーリタイアなんかしたくない」
もしあなたがそう考えるのだとしたら、それは地位財を得るためなのか、非地位財のためなのか、あるいは余命わずかとなっても今まで通り仕事を続けたいかどうかを、一度、しっかりと確認してみてほしい。
現代の日常生活で人と知り合って最初に聞かれるのは、多くの場合、仕事の内容だろう。名前よりも先に聞かれることさえあるくらいだ。
そのような生活環境にいれば、職種や地位に過度のアイデンティティを置いてしまう気持ちもわかる。しかし逆にその重要さゆえ、仕事は真の幸福を見誤らせる、危険な落とし穴になりかねないのだ。
一般的な成功のために「必須」とされているものは、すべて疑ってかかったほうがいい。僕らは現代社会に流布された強固な価値観によって、すでに「洗脳済み」である可能性が高いからだ。
働き過ぎたことを後悔しながら死ぬ……。さぞかし無念だと思うし、僕は絶対にそんな羽目には陥りたくない。
自分自身がアーリーリタイアした後は、多くの人にお金や社会的地位のもつ危険性や、遺伝子の仕掛ける罠に気づいてほしいと考え、本やブログを書いている。
アーリーリタイアこそ正解などとはもちろん言わない。でも、そう悪い選択肢ではないと思っている。
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