哲学を専攻すればよかったと思いかねないって(笑)。p17
“ドーナッツが目の前にあればすぐにどんなにおいしいだろうと想像するが、食べた直後にどうしてももう一つ欲しくなるだろうことや、しばらくして糖分による高揚がおさまると軽い疲れやいらだちを覚えるだろうことは想像しない。
なぜ快楽はしだいに薄れるのか?
(中略)
基本の論理はこうだ。私たちは自然選択によって、祖先が遺伝子をつぎの世代に伝えるのに役立ったこと―食べる、セックスする、ほかの人の尊敬を得る、競争相手をだしぬくなど―をするように「設計」されている。(中略)もし遺伝子を拡散するのがうまい生物をつくりたいなら、どう設計すればそれにふさわしい目標を生物が追及するようになるだろう?(中略)理にかなった設計の基本方針が少なくとも3つありそうだ。
1.こうした目標を達成することで、快楽が得られなければならない。なぜなら、人間をはじめ動物は、快楽をもたらすものごとを追及する傾向があるからだ。
2.快楽は永遠につづいてはならない。快楽がおさまらなければ、ふたたび快楽を求めることはない。はじめての食事が最後の食事ということになる。二度と飢えがもどってこないからだ。セックスも同じで、一度の交わりのあと一生そこに横たわって余韻にひたっているのは、つぎの世代に大量の遺伝子を伝えるための正しい方法とはいえない。
3.動物の脳は、1の「快楽は目標に付随して起こる」ことに集中するべきで、2の「快楽はそのあとすぐ消失する」ことにあまり集中してはならない。1に集中すれば、食べものやセックスや社会的地位などをまじりけなしの純粋な熱意で追及するだろうが、2に集中すると、矛盾した感情が生まれるおそれがある。たとえば、快楽を手にしたとたんそれがすぐに消えてしまい、もっと欲しいという渇望が残るのなら、そこまで必死になって快楽を追求してなんになるだろう、と考えはじめるかもしれない。そのうち、ものうい気分が高じて哲学を専攻すればよかったと思いかねない。“
“以上3つの設計方針を組み合わせると、ブッダが解き明かした人間の苦しみをかなり納得のいく形で説明できる。たしかに、ブッダの言うとおり快楽は一瞬で消えうせる。そして、たしかに、ふたたび不満が残る。快楽がすみやかに消えるように設計されている理由は、つづいて起こる不満によって私たちにさらなる快楽を追求させるためだ。しょせん、自然選択は私たちが幸せになることを「望んで」はいない。ただ私たちが多産であることを「望んで」いるだけだ。そして、私たちを多産にする方法は、快楽への期待を狂おしいものにしつつ、快楽そのものは長くつづかないようにすることだ。”
“すべての根底にあるのは幸せの妄想だ。ブッダが強調したとおり、よりより気分になろうとがんばっているあいだは、「よりよい」気分でいられるだろう時間を過大に見積もってしまいがちだ。そのうえ、「よりよい」が終われば、あとには「より悪い」がつづくこともある。いらいらと落ち着かず、もっと欲しくなる。心理学者が快楽のランニングマシンについて記述しはじめるよりずっと前に、ブッダにはそれが見えていた。”
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内山 直
作家、医師、医学博士。
1968年新潟県新潟市に生まれる。新潟大学医学部卒業、同大学院修了。
2004年に独立し自分のクリニックを立ち上げ、「行列のできる診療所」として評判を呼ぶが、その後アーリーリタイアメントを決意。
2016年2月、クリニックを後輩医師に譲りFIRE生活を開始する。
地方都市でゆるゆると生息中。
「お金、地位、美貌」で得られる幸福はたったの10%で遺伝が50%とされています。
残りの40%に目を向ければ、幸せはすぐにやってくる!をキャッチフレーズに幸福の啓蒙活動を継続中。