今日は古代ギリシャの哲学者、アンティステネス(紀元前444年 - 紀元前365年)による言葉。
“「人間最高の幸福とは何か」「幸せに死ぬことだ」”
ありきたりと言えばありきたりなセリフであり、すっと聞き流すこともできる。でもこれって案外、深い言葉かもしれない。
幸せに死ぬためには、死ぬときに幸せに感じられるようなコンディションづくりが必要になる。では、どのような行いが死ぬときの幸せに通じるだろうか?
「たくさん金儲けをした」
「役員にまで出世した」
「豪邸を建て、高級車を乗り回した」
そんなことを考えながら、幸せな死を迎えることができるだろうか? 多分、無理だろう。
以前、シャルドンヌの名言でも少し触れたが、これら、人との比較において評価されるものは「地位財」と呼ばれ、もちろん幸福感はもたらすが、その持続時間は短いことがわかっている。
だから多くの人は、若い頃目標にしていた資産を蓄えた後もさらなる資産を得ようとする。さらにさらにと求めるのは、それによって得られる幸せの賞味期限が短いからに他ならない。
片や、死ぬときにこんな感想が浮かぶとしたらどうだろう?
「世のためにできることをした」
「素晴らしい友人、家族と時を過ごした」
「自分自身に正直に生きることができた」
心豊かに死を受け入れられそうな気がしないだろうか? これら、人との比較によらない喜びは非地位財と呼ばれ、地位財と比べ、持続時間が長いことがわかっている。
つまり幸せに死ねる人は、常日頃から持続時間の長い幸福を重視して生きてきたということになる。であれば死ぬ瞬間以外のありふれた日常においても、その人は幸せであった可能性が高い。
逆に、地位財を求め、快楽主義で生きてきた人は絶対に幸せな死を迎えられないのか?
もちろん、そうとも限らない。
色情を最優先においた人生を送り、最後は「腹上死」で逝くなんていうのも、なかなかオツな死に方かもしれない。
でもやろうと思ってできることではないし、それこそ紀州のドンファンのように、薬を盛られて死ぬようでは死んでも死にきれない。
“「人間最高の幸福とは何か」「幸せに死ぬことだ」”
僕流の解釈を加えると、こうなる。
“幸せに死ねる人は、非地位財に恵まれた日々を送ってきた人だ。”
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