ありきたりと言えばありきたりだが、これは本当に大切なポイントだと思う。“幸福の最も大きな障害は、過大な幸福を期待する事である。”
仏教には「足るを知る」という教えがあります。これは、少ないもので我慢しろ、という意味ではありません。お金が足りない、もっと贅沢がしたい、といった不満を言うのではなく、自分が持っているものに目を向け、今の状況でいいのだと肯定することによって、心が安らいでいくと説いているのです。欲望は自ら制御しないと、雪だるま式に膨らんでいって、終わることがありません。たとえ努力の末に想いがかなっても、心が満たされるのはほんの束の間で、すぐにまた新しい欲が、苦を引き連れて姿を現わします。
ディケンズの作品「デヴィッド・カッパーフィールド」の中に、「年収二〇ポンドで、支出が一九ポンド一九シリング六ペンスなら、その結果は幸福だ。支出が二〇ポンド六ペンスなら、その結果は不幸だ」というセリフがあります。「十」の欲望を持つ人が「八」しか手にすることができなければ、その人の人生は満たされないものになりますが、もしその人の欲望がそもそも「五」しかなかったら、手に入れた「八」で完全に満ち足りた日々を過ごせるに違いありません。どうやら幸福には、その人の持つ「欲望の総量」に対して、「実際に手に入れた環境の割合」という一面がありそうです。これを、満足率と呼ぶことにします。
どんなに稼いでも、欲望を肥大化させ続ければ、日々の満足率は上がりません。特に近年、様々な情報により、我々の欲望は刺激を受けつづける羽目に陥っています。テレビを見ていても、連休前などはレジャー情報ばかりで、まるでどこかに遊びにいかなければ、人生を損なっているかのような気持ちにさせられますし、インターネットやモバイルコミュニケーションの発達は、ただでさえ大量に乱れ飛ぶ情報を、さらに増幅した上で氾濫させています。ネットでセレブなブログを見て、自分もこんな生活がしてみたい! と羨ましく思ったことはありませんか? あるいは、ツイッターやフェイスブックを通じて、友人が刺激的な日々を送っていることを知り、自分は無為に人生を浪費しているのでは、と焦ってしまったという経験は? でも、上を見続ければ、何ごとにもきりがないのは自明の理です。逆に、「どこかで歯止めをかけない限り、欲望には終わりがないのだ」ということを理解した上で、ある程度以上の誘惑をシャットアウトすることができれば、それだけで日々の満足率は飛躍的に上がることでしょう。
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内山 直
作家、医師、医学博士。
1968年新潟県新潟市に生まれる。新潟大学医学部卒業、同大学院修了。
2004年に独立し自分のクリニックを立ち上げ、「行列のできる診療所」として評判を呼ぶが、その後アーリーリタイアメントを決意。
2016年2月、クリニックを後輩医師に譲りFIRE生活を開始する。
地方都市でゆるゆると生息中。
「お金、地位、美貌」で得られる幸福はたったの10%で遺伝が50%とされています。
残りの40%に目を向ければ、幸せはすぐにやってくる!をキャッチフレーズに幸福の啓蒙活動を継続中。