僕もそうなった(笑)。導師は続けて、こんな提案をしました。「こうしてみてはどうか。車のあいだを走り回って何もかもコントロールするかわりに、今いる場所にしばらくじっとしているのだ。するとどうなるか。道端に座り、行きかう車をただ見ていたらどうなるか。ラッシュアワーで道路が渋滞していようと、真夜中で車通りが少なかろうと、どちらでも変わりはない。ポイントは、道端に腰を落ち着け、車の往来を見ているのに慣れることだ」ただ思念が通りすぎるのを見ているというイメージはとてもわかりやすく、私は早くもう一度瞑想をしたくてたまらなくなりました。
これは「怒りの感情」を当てはめるとわかりやすいと思う。瞑想をはじめた時というのは、ある朝目覚めたら、身のまわりのできごとによく気づくようになっていたようなものだ。道を歩いていて、目の前に大きな穴があいているのが見える」と導師は言いました。「でもそこが問題なんです」と私は答えました。「たくさん瞑想をして、ときどき穴が見えることもあります。それでも、毎回穴に落ちるのを自分でも止められないのです」すると導師は言いました。「そうだろう。最初は穴が見えても、道のそこを歩く癖がしみついているせいで、まっすぐ穴に落ちるのを避けられない。それは狂気の沙汰だとわかっているし、痛い思いをするのもわかっているのに、どうしても避けられないのだ」同志はとうとう声を上げて笑いだしました。私の苦悩にもかかわらず、想像するとすこぶるおかしいことは私も認めざるをえません。導師は続けました。「これが君の心の状態だ。落とし穴が見えるのに、しみついた癖で落ちるのを避けられない。だが」と、そこで導師は芝居気たっぷりに言葉を切りました。「瞑想を続けるうちに、もっと早くから穴が見えて、避けるための行動がとれるようになる。最初は穴の縁ぎりぎりを通ろうとして、結局落ちてしまうかもしれない。これもプロセスの一部だ。だが、練習によって、いずれ穴がはっきり見えるようになり、簡単に穴をよけて先に進めるようになる。そしてとてもすがすがしい気分で職場に到着できるのだ」導師はまたくすくす笑いました。「そしてある日、深い理解をみにつけ、はっきり目を覚ました時、そこには最初から穴などなかったことに気づく。だがその話はまた別の機会に」
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内山 直
作家、医師、医学博士。
1968年新潟県新潟市に生まれる。新潟大学医学部卒業、同大学院修了。
2004年に独立し自分のクリニックを立ち上げ、「行列のできる診療所」として評判を呼ぶが、その後アーリーリタイアメントを決意。
2016年2月、クリニックを後輩医師に譲りFIRE生活を開始する。
地方都市でゆるゆると生息中。
「お金、地位、美貌」で得られる幸福はたったの10%で遺伝が50%とされています。
残りの40%に目を向ければ、幸せはすぐにやってくる!をキャッチフレーズに幸福の啓蒙活動を継続中。