開業医をしていた僕がクリニックを後輩に譲ったのが6年前、47歳の頃。
そのような決断をした経緯や資産形成術を半年かけてまとめ、原稿を出版社へ持ち込んだところ、反応は実に冷たいものだった。
「アーリーリタイアなんて、普通の人ができるわけないでしょう」
「そんなの、誰も興味をもちませんよ」
「どの程度のマーケットがあるか理解してますか?」
僕自身は今後、人々が物質的豊かさより、違う種類の充足を求めるようになると考えていたので、出版社の判で押したような反応には驚かされた。
ちょっと偉そうだが、
「その程度の想像力しかない連中がやってるんだから、そりゃ出版不況にもなるって」
とも思ったし、妻や友人には散々愚痴をこぼした。
山ほどの出版社に断られた挙句、最後にセルバ出版から「印税は低めになりますが、それでいいのなら」との返答をもらったときは、文字通り飛び上がって喜んだ。
僕に異存があるわがない。そもそも金のために書いた本ではないのだから。
うかれていられたのは一瞬で、その後、タイトル、装丁、校正などで胃が痛い思いをすることになるのだが、それも今となってはいい思い出だ。
話が逸れた。
そんなわけで、おそらくは日本で初となる「アーリーリタイアについての本」を出版することになり、これはそこそこ売れた。
その後FIREブームが来て、関連本が山ほど出されたのは皆さんもご存じの通り。手前味噌だが、完全に時代を先取りしていたつもりでいる。
さて、その「FIRE」という言葉。
流行り出したのは僕がリタイアし、本を出した後なので、僕自身のアーリーリタイアにおいては何の影響も受けていない。
しかしその後、FIREの元祖とされるMr. Money Mustacheの主張が、「際限ない物欲を捨てる」「分散投資で生活資金を稼ぐ」「有限である時間を尊重する」といった内容であることを見知るようになり、本質的な発想はかなり近いとの印象をうけた。
物欲で得られる喜びの持続時間は短く、だからすぐに飽きて次が欲しくなる。いつまで走り続けてもゴールはなく、完全に満たされないことによる飢えが繰り返し現れては、僕らの心にムチをふるう。
これは人間に課された定めなのか?
断じて違う。ちょっとした発想の転換で、僕らはずっと自由に日々を送ることができるのだ。
そして最近、FIREにはいくつかの種類があるのだと知った。
それらの「亜流FIRE」がどうやって派生したのかは知らないが、元祖であるMr. Money Mustacheが提唱したものではなさそうだ。
FIREという言葉が一般的になり、独り歩きし、やがて様々な概念が付加されたものと思われる。
ムーブメントなるものは広がりながらエッジを失っていくのが常だから、変化自体はしかたがない。しかし個人的には、これらの解釈の広がりがFIREという概念を劣化させているように思え、少し残念に感じている。
前置きが長くなってしまった。本題は明日に。
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手前はズッキーニの花でチーズををくるんで揚げたもの。白ワインとの相性が抜群。