我が家のある日の食卓。
なんとも豪華に見えないだろうか?

数年前、妻が通っている料理教室の先生が、収納場所が限界であることを理由にいくつかの食器を手放すことになり、一部を妻が譲り受けることになった。高級なものばかりなのに値段は格安。妻は大喜びだ。
我が家は客も多くないので、大事に取っておいてもしかたがないということで、日常的に使うことにした。
もちろん僕だってうれしい。見た目が素敵なのは気分がいいし、料理の味わいだって深くなるように思える。
ただし、欠点もあって・・・。
まず、多くのお皿が食洗機で洗えない。やってみればなんとかなるのかもしれないが、とても試してみる勇気がない。僕は皿洗いはわりとマメに手伝うので、仕事の量が増えてしまった。
そして運ぶ時や洗う時に、かなりの神経を使う。不注意で割ってしまおうものなら、妻からの不興を買うことは必至だ。
自分だけでなく、子どもたちが運ぶ時も、見ていて冷や冷やする。
そして、つい、
「下げないでいいよ。父さんがやっておくから」
などと言ってしまう。
精神的にも教育上も、はなはだよろしくない。
物というのは難しい。良い物をもつ喜びは、失う恐怖と常に表裏一体だ。
見た目はイマイチでも、気を使わずにすむ安いお皿でいいじゃないか、という気がしないでもない。
とはいっても、もはや逆戻りはできない。
それまで使っていた安いものはすでに処分してしまったし、一旦いいものに親しむと以前のレベルに戻すのは難しい。
落ち着いた日常を取り戻すためには、早く高級な食器に慣れるしかないのだが、数年たった今でもかなりの緊張を強いられている。
我ながら貧乏性だなあと思うし、なにより物はこれだから難しい。
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