裸の王様
正月というのは晴れがましいものだが、それが毎年来るのが心底憂鬱だった時期がある。
実家に帰るのが嫌だったのだ。父が死んで母は一人暮らしをしていたのだが、歳をとり、家族が集まる正月の支度をするのが億劫になり、結局、近所の姉の嫁ぎ先で、正月を迎えなければならない時期があったのだ。兄も近くにすんでいたが、常に借金に追われていて、重い障がいを持った子供までいる兄の家は到底人を呼べるような状況ではなかったのだろう。
私は姉の旦那という男が大嫌いだった。兄が頼りないので、実質アルツハイマー気味の母の面倒を見ていることで松尾家のリーダーとなり、姉と中学の時の同級生であるのに、彼女を小間使いのように使い、親から譲り受けた家で、まるで聖杯のように業務用焼酎を小脇に抱え、広い座敷に君臨していたトラックの運転手である。典型的な九州の男尊女卑の男だった。東京で演劇なんかにうつつを抜かしている私のことを本気でせせら笑っていたし、それを息子たちにも吹き込んでいたのだろう、二人の小さな息子も私のことをバカにしていた。私が用意した東京の手土産を「まずいまずい」と、顔をしかめて笑うのである。マンガのような田舎者たちだった。
「かっちゃんはよかよな、ふらふら好きなことばっかしよってから」
何かで割った甲類焼酎をあおり、ニヤニヤ笑いながら義兄は言うのである。とうに劇団は軌道に乗り、自力で都心に家も建て、彼の何十倍もうまい酒を飲んでいる私の生活など想像もできなかったのだろう。多分、あまり当時はテレビにでていなかったからである。田舎において、テレビに出ている出ていないは重要なことだ。
(中略)
私は母と喋りたいのに、もはや義兄の下僕と化した兄と、義兄の隣でずっと自慢話を聞かされる。空虚な喧騒。それが田舎の正月の風景だった。いったい何をしに帰っているのだ。心底情けなかった。
義兄は家族四人で風呂に入っていることをなぜかことごとく自慢していた。
「やっぱり家族は一緒に入らんちゃいかんちゃ。それが家族ちゃ」
後で、姉がポツリと独白した。
「・・・四人で湯船に入れるわけないやん、結局私が出とるけ寒いんよ」
♪はーだーかのー、おーさまはー、ずんたたた、ずんたたた・・・
それを聞いて、なぜか何かのCMで流れていたこの歌が脳裏に流れた。
それからしばらくして義兄は脳梗塞で倒れた。まだ四十代だった。命に別状はなかったが、義兄はトラックに乗るのが怖くなり、仕事をやめた。
芝居の巡業のついでに久しぶりに田舎に帰ると、義兄は驚くほど卑屈な目をしていた。
無職であるのと、私がテレビに出ていたからだろう。
それからしばらくして、私が離婚したのを心配して状況した姉に聞いた。義兄が家を出て行ったと。そのわけを聞いたが、なんだかかわいそうで書く気になれない。
そしてそのまま十数年、いまだにどこに行ったのかわからないのである。
♪はーだーかのー、おーさまはー、逃げてった、逃げてった、ぞー
人生って、なんなんだ。
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内山 直
作家、医師、医学博士。
1968年新潟県新潟市に生まれる。新潟大学医学部卒業、同大学院修了。
2004年に独立し自分のクリニックを立ち上げ、「行列のできる診療所」として評判を呼ぶが、その後アーリーリタイアメントを決意。
2016年2月、クリニックを後輩医師に譲りFIRE生活を開始する。
地方都市でゆるゆると生息中。
「お金、地位、美貌」で得られる幸福はたったの10%で遺伝が50%とされています。
残りの40%に目を向ければ、幸せはすぐにやってくる!をキャッチフレーズに幸福の啓蒙活動を継続中。