今日は瞑想について書いてみる。
自著「4週間で幸せになる方法」、あるいはこのブログを通じて、瞑想に興味をもってくれた人がどのくらいいるだろうか?
いるとしたら、うまくいっているだろうか?
僕自身が瞑想に興味をもち始めた頃、最初に困惑したのは、本によって言っていることがかなり違うと言う点。
「無」を目指せ、という本もある一方、雑念が浮かんでもいいから、それに「気づき」を入れるのが肝心、という本もある。
僕自身、そこで混乱し、時間を無駄にしてしまったという経緯があるので、皆さんが同じ轍を踏まずにすむよう、その後学んだことを記しておく。
(細かいことはあえてスルーして理解しやすさを主眼にした大雑把なものなので、詳しい方からは異論もあろうかと思うが、そこは趣旨をご理解の上、容赦していただきたい。)
さて、僕が調べた限りで言えば、瞑想には大きくわけて2種類あるようだ。
ひとつはサマタ瞑想。
これは集中し、こころを無にする瞑想。日本では瞑想と言えば、こちらが一般的なように思える。呼吸に注意を集中し、感情・思考・身体感覚が感じられて注意がそれたら、呼吸に注意を戻し、無の状態を目指すというものだ。
眠くなることもあるが、寝てはいけない(それでは単なる昼寝になってしまう)。集中を維持するためにマントラを使ったり、ろうそくの炎を見るなんていう手法もある。
禅やヨガの瞑想はこちらと言ってよさそうだ。
もうひとつはヴィパッサナー瞑想。
伝統仏教からくるもので、自分の無意識を意識にあげて気づきを得るというもの。心の中に浮かんでくる感情・思考・身体的な感覚を観察し、ありのままを受け入れる。こちらでも、やはり雑念に流されてはならない(それでは単なる考え事になってしまう)。
最近流行のマインドフルネス瞑想はこちらで、ヴィパッサナー瞑想から宗教色を取り除いたものとされている。
サマタは「止」。
ヴィパッサナーは「観」。
ではどのようなタイプの人が、あるいは何を求める人が、どちらの瞑想を行えばいいのか?
これは実に難しい。伝統仏教の出家者はヴィパッサナー、禅宗、曹洞宗ではサマタ瞑想しかしないので、両方を経験した上で、比較検討できる人がいないのだ。
そんな中、僕が知る限りで唯一の例外が山下良道氏。
曹洞宗僧侶でありながらミャンマーで伝統仏教の修行もしたため、両方の瞑想に詳しい。
山下氏の結論は著書「光の中のマインドフルネス(サンガ)」に記されている。
どれが正しい、ではなくすべて必要。まずマインドフルネス瞑想で雑念を封じ、慈悲の瞑想をした後、サマタ瞑想に入るべきだとの主張だ。
この本もまた、滅法おもしろい。
瞑想に興味がある人、とくに現在、情報過多で「迷走」しちゃっている人には絶対にお薦めの1冊だ。
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