ここ10年で女性の美は多様性を帯びてきた・・・などと言って本当にいいのだろうか?


ここ10年でいろいろなことが変わった。
その中で僕が注目すべきだと考えているのは、女性の美が多様性を帯びてきたということだ。

細い子だって、胸の大きい子だって、自分の得意なところでアピールできる。
昔は色白が美人の条件だったが、今は色黒だって問題ない。
一時期のガングロは行き過ぎと思うが、日に焼けた女性の美しさは確実に市民権を得てきていると思うし、むしろ色黒の女性のほうが老けにくい気もする。
僕からみると不美人な、やや爬虫類的な顔立ちの子が、テレビやネットでかわいいと称賛される。
以前は悪口だった「たらこ唇」だって、今や肉惑的と評されたり。
あひる口なんて僕にはもはやワケがわからないが、若い子たちがこぞってマネるところをみると、これも美しさなのであろう。
誰だって「かわいい」と言われていい時代なのだと思えてくる。
であればみな、自信がもてる。胸を張って街を歩ける。
「ゲロブス」なんてひどいあだ名をつけられた女性が、人気アイドルグループのセンターを取り、卒業後も大活躍。
少なくとも美についていえば、女性にとって、本当にいい時代を迎えたのではないだろうか?

という文章を読んで、どう思われただろう?
実はこれには元ネタがある。それがこれ。

戦前と戦後とで、いろいろなことが変わった。変わったようで変わらないこともあるが、変わったことのなかで私が素晴らしいと思うことのひとつは、世の中に不美人がいなくなったことである。
スタイルがいい。動きがいい。色が黒ければむしろ積極的に焼く。グラマー。ファニー・フェイス。ニキビの魅力。ハスキー・ボイス。素敵な悪女。蛙に似た女のモデル募集。
ということになれば不美人なんかいやしない。だから女はみんな闊歩する。エンゼル・フィッシュもハコフグもあるものか。アンパンのヘソという渾名の美人が主演銀幕女優となる。女に関していえば、“昔はよかった”とは絶対に言わせない。これは革命ではないか。女はみんなシアワセを態度で示せるようになった。
(山口瞳『男性自身』傑作選 中年篇 新潮文庫)


何が言いたいかというと、昔も今も、実は状況なんて、ほとんど変わってはいないのでは? ということ。
山口瞳の代表作「江分利満氏の優雅な生活(新潮文庫)」には、こんな一節がある。

35歳の江分利と30歳の連中とは、どこかが少しちがう。30歳の連中と25歳までの新人たちにも、気質的に断層がある。若い人たちは、よくもわるくも自己中心である。江分利たちには「一将功なって万骨枯る」みたいなところがある。すぐ万骨になりたがる。

連載されたのが1961年だから、ここでいう35歳は1926年(大正15年)生まれ、生きていれば現在96歳、25歳は1936年生まれで、今は86歳だ。
本当にそこまでの断層があったのだろうか?
にわかには信じがたい。
そういえば古代エジプトでも、「最近の若い者は・・・」という嘆きがあったという話が流布されているが、どうもこれは根拠のない話らしい。
いかにもありそうな話だから、広まったのだろうけど。
数千年のスケールでは実証手段がないから何とも言えないけど、少なくとも、数十年、百年程度のことでいえば、人間は皆が思うほどは変わっていないのではないだろうか?
移ろうのは細かい生活様式など、表層的なものだけという気もしないでもない。

読書の秋。古い本を読み返して、そんなことを考えたりしている。



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オニオンリングの豚バラ巻パルメザンチーズ揚げ。

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内山 直

作家、医師、医学博士。
1968年新潟県新潟市に生まれる。新潟大学医学部卒業、同大学院修了。
2004年に独立し自分のクリニックを立ち上げ、「行列のできる診療所」として評判を呼ぶが、その後アーリーリタイアメントを決意。
2016年2月、クリニックを後輩医師に譲りFIRE生活を開始する。
地方都市でゆるゆると生息中。

「お金、地位、美貌」で得られる幸福はたったの10%で遺伝が50%とされています。
残りの40%に目を向ければ、幸せはすぐにやってくる!をキャッチフレーズに幸福の啓蒙活動を継続中。

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