僕が今後も日本経済はダメだと思う理由


以前から何度か書いてきているが、僕のメイン投資はMSCIコクサイに連動する株式インデックス投資信託。MSCIコクサイの対象は「日本を除く先進国株式」だから、日本株は所有していない。なぜならば日本の将来を(経済的には)悲観ししているから。
理由はいくつもある。イノベーションが起きにくい土壌、いつまでも撤廃されない無駄な規制、雇用流動性の低さ。
特にいかんともしがたいのが諸外国と比べ異様なまでに低い労働生産性で、これを改善するには最低賃金を大幅に引き上げ、収益性の低い中小零細(特に小と零細)に奮起してもらうなり合併してもらうなり、やむをえない場合は潰れてもらうなりしてもらうしかないと思うのだが、一時的に大混乱をきたすのは必至であり、そのような大鉈を日本の政治家が振るうと期待するのは無理だろう。
という感じで自分なりの考えはあるのだが、このブログに経済構造論を期待している人は皆無だと思うので、今日は3人の息子をもつ親として感じる「日本の教育」の問題点を、生活実感に則して書いてみたい。

まず指摘したいのは、小学校で書道とそろばんの授業がいまだに続いていること。
もちろん両者を否定するつもりはない。習いたい人は習えばいい。でもたとえば、学校でそろばんを習い、電卓より早くそろばんで計算をできるようになった児童など皆無だろう。
授業で使ったそろばんは数年間物置で埃をかぶり、その後引っ越しや一人暮らしを始める際に捨てられることになる。
なのにこれらを「学校教育として小学生全員に行う」理由が僕にはさっぱりわからない、というのはもちろん嘘で、それぞれの団体と文科省との癒着ゆえと見当はついている。
学校教育でそろばんと書道を廃止したら関連団体が被る痛手は致命的であり、天下りの受け入れを含め、相当の目配りを文科省及び政治家に行っているのだろうと推測している。
そもそも生徒全員がそろばんを購入しなければならないというのが絶対におかしい。そんなものは学校で保管し上級生から下級生に譲渡せばいいはずで、新品を買ってもらわないと困る製造業者への配慮だと考えざるをえない。
そんな形で生産性の低い授業に多くの時間を割いていながら、英語教育は諸外国から大きく遅れをとったままさっぱり進まない。これからの時代、英語が堪能であるかどうかで人生の選択肢が今まで以上に大きく変動することは間違いなく、中学卒業間際になってようやく現在完了形を習っているようでは話にならない(参考記事 我が家の英語教育)。
今の時代、自動翻訳機能が日進月歩で進歩しているから、英語能力は不要になると考える人もいるようだが、僕はそうは思わない。
読み書き限定ならともかく、ビジネスで必須のコミュニケーションスキルは、やはり実際に英語で話し、英語で発想できるようでないと務まらない面がかなりあるというのが、多少は英語を話す僕の実感だ。

さらに挙げたいのが日本の奇妙な中学入試システム。
とくに問題が大きいのは算数。算数は日常生活で必要となる計算で正確な答えを出すことが目的なので、マイナスや平方根、方程式など、日常生活では目にしない抽象的なものを使ってはならない(それは数学になってしまう)。
かといって常識的な算数の問題では受験生をふるいにかけることができないので、名門中学は「数学」になってしまわないよう注意を払いながら、できるだけ難しい「算数」の入試問題を作成する。
そこで多用されるのが「旅人算」「面積図」といった、中学受験以降はまず一生使うことのない特殊計算技術だ。
もし飛び級が許される国なら、小学生時代に大学入試レベルの数学に挑めるような素養をもった才媛たちが、方程式を使うことを許されぬまま、その後はほぼ役に立たない「高難易度の算数」というゲームをクリアするために多くの時間を費やすことになるのだ。
中学入試では暗記科目の範囲も過酷なほど広い。たとえばカエルの種類と卵の大きさ、孵化する季節といった些末、かつググれば一瞬で出てくる知識をひたすら暗記しなければならない。これもほぼ時間の無駄。
ビル・ゲイツだってスティーブ・ジョブズだって、日本に生まれていたらあのような成功に至ることはなかっただろう。
そして元医師として強調したいのが、これまた世界的に類をみない異様なほどの「医学部人気」。
トップクラスの頭脳をもつ若者には、できれば情報や工学分野に進み、日本を代表する産業を引っ張っていってほしいのだが、そのうちの多くが医師になることを希望し、医学部に進んでしまう。
日本の経済は低迷の一途を辿り先が見通せない一方、医師免許はそれなりの高給と社会的ステータスが約束される強力な国家資格だから、これは残念ながら当然の帰結と言っていいだろう。
でもねえ、医者なんてそんなに優秀じゃなくていいのよ。数学的能力なんてほぼ不要で、重要なのは患者さんを思いやれる人間性、責任感、そしてコミュニケーションスキル(患者さんをみない基礎医学分野は除く)。
医学部人気の行き過ぎを改善するのは簡単で、現在1点10円とされている診療報酬を、開業医に限り7点程度まで引き下げれば医師のなり手はほどよいレベルまで低下するし、ついでに医療費削減の効果もあるのだが、医師会の政治力もまだまだ強いし、まあ、無理だろう。
(これを読んでいる医師の皆さん、気を悪くされたらごめんなさい。でも本当はみんな気づいてるよね)。

また大学入学資格のシステムも複雑怪奇だ。
たとえば慶應大学。受験合格組、推薦組、幼稚舎からのエスカレータ組で偏差値は大きく異なるのは皆さんもご存じのことと思う。
しかしステータスはみな「慶應卒」。このような不平等は社会が真に実力主義にならない限り(そしてそれは日本では本当に難しい)、随所随所でマイナス作用をもたらしているはずだ。
他にもたとえば国際基督教大学などのキリスト教系名門私立は、正面から入学しようとすると非常に難易度が高いが、提携しているキリスト教系の私立高校で推薦をえれば、ほぼ無試験で入学できる。しかもそれらキリスト教系高校の一部はいわゆる「底辺校」レベルなのだ。
頭はあまり良くなくても真面目な性格の子なら、あえて底辺校にいって通知表で「5」を重ねれば、受験偏差値50以下でもば国際基督教大学に合格できてしまう。
そしてこれまた皆さんご存じの通り、日本の大学は入りさえしまえば、卒業はさほど難しくない。
このような抜け穴だらけ、奇妙奇天烈な教育システムの中で自社に適した人材をみつけることは、企業の担当者にとって至難の業だろう。
そして何より生徒それぞれの個性に応じた教育という面では、欧米にとてつもなく大きな差をつけられているのだが、これは長くなるし専門家ではないので書かない。

教育制度が今すぐ大きく改善したとしても、その成果が社会に還元されるのは数十年も先になるから、僕が生きている間は無理だろう。
優秀な生徒の特性を生かし、それが成長を希求する企業の適所に治まることが非常に難しい状態が今後も続く以上、常に改善策を模索している多くの国々との差がさらに開くことはあれ、縮まることはないだろうと悲観している。

というわけで我が家では、子供たちに
「豊かな生活を求めるなら、日本から出るしかない時代が来る可能性はかなり高い」
と話し、英語は最優先で学習させている(この春、小学校6年生の息子は無事英検2級に合格した)。

で、そのように考える僕自身は今後、どう対処していくのかって?
すでにFIREした身だから労働については考える必要はないし、日本が、そして地元新潟が大好きなので、欧米企業への投資で引き続き利益を上げながら、便利で、物価が安く、治安のいい日本の地方都市での気楽な隠居生活を続けるつもりでいる。
いいとこ取りで申し訳ない気もするが、それ以上の選択肢が僕には思いつかない。



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内山 直

作家、医師、医学博士。
1968年新潟県新潟市に生まれる。新潟大学医学部卒業、同大学院修了。
2004年に独立し自分のクリニックを立ち上げ、「行列のできる診療所」として評判を呼ぶが、その後アーリーリタイアメントを決意。
2016年2月、クリニックを後輩医師に譲りFIRE生活を開始する。
地方都市でゆるゆると生息中。

「お金、地位、美貌」で得られる幸福はたったの10%で遺伝が50%とされています。
残りの40%に目を向ければ、幸せはすぐにやってくる!をキャッチフレーズに幸福の啓蒙活動を継続中。

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